ペルソナ
多分、多かれ少なかれ、誰しもWEBでは仮面を被っているのだ。
「こうなりたい自分」「こうありたい自分」という願望は誰でも持っていて、
WEBでは現実の顔が見えない分、その自分を演じるのが比較的容易いのではないかと。
「演じる」と言うと、まるで本当の自分ではない自分を演出して観衆を騙しているみたいだが、
現実世界でも多分、TPOに沿ってその場に適した自分の役割を演じ分けている。
むしろTPOに沿って演じ分けられないと悲惨な目を見る、特に現実世界では。
私はまだ未婚だし、結婚しても子を産み母になるつもりはないが、母になった女性は、
夫に対する妻としての自分と、子供に対する母としての自分は別の顔なんじゃないかと思う。
男性も、会社で働く社員としての自分と、家庭の父としての自分は別なはずだ。
父としての自分と夫としての自分も違うでしょう(まぁ、憶測ですが…)。


余談になるが、何かの本で読んだ話。
結婚して子供が生まれても、夫や妻を「お父さん」「お母さん」と呼んではいけない。
子供に対して「お父さん(お母さん)は今忙しいんだよ」と言うのはいいが、
自分の夫や妻に向かって「お父さん」「お母さん」と呼びかけてはいけない。
自分の夫や妻を「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになれば、それはもう互いに夫と妻ではなく、
「お父さん」と「お母さん」になってしまう、つまり愛し合う異性同士ではなくなる、とのことだった。
これもTPOに沿った役割の演じ分けとしては含蓄のある話だと思う。
子供の前では当然「お父さん」「お母さん」でなくてはいけないが、夫婦は親子関係ではない。
妻を「お母さん」と呼ぶようになれば、妻はもう愛する女ではなく世話焼きオカンになってしまう。
ちなみに私の両親は互いを名前で呼び合う、なぜかは知らないけれど。
傍目には、いい年をした夫婦が「○○さん」「××くん」と呼び合うのはキモイかしら。
父は比較的、私には「お母さんは~~でね」と言ったりしたが、母はそんなこともあまりなかった。
しかし父も私が大人になるにつれて、「お母さんはね…」という言い方が減ってきた。
子供も成長してとりあえず一丁前になれば、自然の成り行きだろう。
これはある種の「対等関係」の芽ばえなのだろうか。


WEBではその人の普段の言動から、人物像が描き出される。
例えばシャア・アズナブル口調で日記を書いていれば、その人の人物像はシャアだろう。
実際の容貌や年齢や性別は関係なく、そのシャアになりきった口調の日記を読んでいる時、
脳裏に描かれるのは、「坊やだからさ」という、あのマスクで目を隠した赤い人である。
ちょっと例えが極端すぎたが、言葉の使い方、他者への振る舞い方で人物像は判断される。
私は以前友人のいっぷに女史に既婚者と間違えられたことがあるが、
いっぷに女史曰く、「落ち着いた、ちゃんとした暮らしをしている人というイメージ」だそうだ。
本当は全然ちゃんとしていないし落ち着いてもいないんだけれど、そう見えちゃったってことだ。
散歩道氏に会う前は人間の姿が想像できず、人工スクリプト生命体を想像していたが、
これもブログを読んでいて受けた印象である(それにしても酷いが)。
他、オフ会に行ったりすると、すごくおじさんだったとか、イガグリ頭だったとか、驚きが多い。
マイミクさん、キレ者の女性だと思っていたら、ちゃんとプロフィールを見ると男性だったとか…。
今は眼鏡をかけた理系のキリッとした人を想像しているが、実は巨漢の熊男かもしれないし。
WEBでは言動がすべての印象を左右するのだな~と痛感している。

実際私はかなり情緒が乱れやすく、それが覿面に生活にも出てしまうタイプだが
なるべく私生活をWEBに出さないようにしているので気付かれにくいのかもしれない。
格好つけたいわけじゃないが、やはりみっともないし、危機管理という側面も大事だ。
私生活を明け透けに語って個人情報でも特定されたら大変なことになってしまう。
mixiは安全地帯だと思い込んで馬鹿をやらかす輩もいるが、WEBに安全地帯などないぞ。
WEBと私生活は完全に切り分けたほうがいいし、夫婦でWEBを共有しなくてもいいと思う。
「妻に内緒で」「夫に内緒で」と言うとなんだかいやらしいが(いやらしい目的で使う人もいるし)、
夫婦が互いのWEB活動に干渉しないシステムって結構賢いんじゃないかと思う。
掲示板で激論している相手が実は自分の妻や夫だったというのも面白くないでしょうか。
この場合、それが互いにわかってしまったら面白くもなんともなくなるのですが。
そのままWEBで夫婦喧嘩でも始めてくれたらギャラリーは大喜びするでしょうけれど。
別に夫婦やカップルに限らず、友達なんかにもあまり日記を読まれたくないですね。
恥ずかしいことを書いているつもりはありませんが、「タロサ~!o(>w<)o」とか引くよね…。
WEB日記を書いているということ自体が恥ずかしいこと(私)なのかもしれません。

私は言葉のみで判断されるWEBだからこそ冷静でありたいし落ち着いていたい。
それが、私がWEBでペルソナを被っているということだろう。
しかしそのペルソナの皮が剥がれかけた時、自我とプレッシャーとの板ばさみになる。
本当は泣き喚き罵倒したい私、「やまめさんはそんな人じゃない」という周囲の期待と願望。
「そんな人じゃない」という評価は私自身がペルソナによって作り上げてしまったものだが、
私だって泣き喚きたい時があるんだい…自暴自棄になる時があるんだい…と、ボソボソ呟く。
あまりにも自身と乖離したペルソナは維持するのもつらく、すぐに化けの皮が剥がれやすいが、
素の自分とのギャップがあまりない、負担の軽いペルソナは結構強固なものになりやすい。
気付けばそれを外すことは許されない、という状況に陥ってから気付くのもなんだか…。
「こうありたい」と願う理想像に、わりとローリスク&ローコストで近づけるWEBの世界。
しかしそれはあくまで願望であって、完成された、完璧な人格ではない…。
多分、誰しもわかっていることなのだろうと思うが、他人にはつい期待してしまいがちなのだ。
私はあんまり他人に期待しないほうだと思っていたが、やはり私も期待している。
他人の期待で嫌な思いをするのに、「他人に期待するな」と言われるとなんだか不公平だな。
大人キャラってWEBではそういう損も多くてたまに本気で嫌になる時がある。

ところで子供はいつから大人になるのか、という境目だが、私は大人らしい振る舞い、
大人の役割をきちんと演じることが出来るようになったら大人になったと言えると思う。
いくら大人キャラを演じられても法的には二十歳未満は子供なので飲酒喫煙はダメだが、
ハタチを過ぎても三十路を過ぎても子供キャラというのは所謂「イタイ人」ですよね。
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by yuzuruha_neko | 2006-12-28 22:14 | 放浪インターネット
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