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ことばあそび
喧嘩は参加する事にこそ意義があるのか、見ているだけじゃ意義がないのか。
もっと大勢の人に見せる事はそれなりに有意義だと思う。

特定の人々のみにヲチさせておくのは勿体ない空転議場。

天誅!!

人権擁護法案を議題にしながら、熱い議論の内容は「人権擁護法案の是非」と言うより「人権擁護法案を論じる人達の是非」に(とみに最近)終始している。
眩暈と闘いつつ非常に膨大な日記コメントを一字一句読んでみる事をお奨めする。
途中で挫折しても、いかに発展性のない議論を繰り広げているかという事がわかると思うから。
批判に対して批判の応酬は、すでに揚げ足取り合いの様相を呈している。
意味のない遣り取りだと思いません。
ただ反対派としては全然効果的な方策になり得ていないと思うけれど。
ケロヨンさんの論理が破綻していたとして、それを指摘する事にどれほどの意義があるのだろう。
「あなたは間違っています」と指摘する事自体に私はあまり意義を見出せない。

あのさぁ、「自分は良識派ですから」みたいな顔って疲れないのかなぁ。
常々思うんだけれどさ。
「自分はイイ人・道徳家・常識人」みたいなスタンスで物を喋る人ってそれで何か得があるの?
サヨにバカが多い事は事実だと思うが「頭イイ自分カコイイ!」アピール激しいウヨもバカじゃん。
議論の場において「論理的に」を連発する人ほど論理破綻しやすい傾向にあるように思える。
それはこの件に拘らず、単に一般論的な私見ですが。
「いかに自分の意見が論理的で、相手の意見が非論理的であるか」という事をオーディエンスの前で証明してみせようと抗弁に必死になっている人は、もう「論理的な人」とは言えないのでは。
しばしば議論の場において「論理性」が重視される事に私が引っ掛かるのはそのへんです。
本当に論理的な人は、わざわざ「ワタシは論理的です」とアピールしないような気がする。
「論理的に話し合いましょうよ」ともわざわざ言わない傾向にある(ような気がする)。
だってそんな事をアピールしなくても納得が行く、合点が行く事を言っているのだもの。
平坦な文章で、わざわざ頭良さそ~~な難解な言葉を多用しないし。

言葉の力に頼っているようでは「論理的」には程遠い。
論理的反対派と称される娘通信♪のmisakiさんの文章をよく読んでみよう。
徹底したソース重視派で、上っ面の言葉のマジックになど頼っていない。

そういう私はわりと言葉のマジックに頼るほうです。
メスですから合理性や論理性には疎くても別にいいんですよ。
生理的嫌悪感や生理的反発といった説明しようのない感情は結構侮れないと思っています。
自分はどう思うの?という自己内観によって私は私の意志を決める。
他人の事はどうでもいい、わりとぶちゃけ本音です。
他人を言い負かしたいという欲求があまりないのもおちゃらかしに走るのもそのへんが理由か?

で、人権擁護法案にどうやって反対しようかね。
とりあえずグダグダ議場を晒してみる。

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今日昼食を同席した同僚が韓国ファンらしく、近々韓国に留学予定があるらしい。
サランヘヨという言葉の意味を初めて彼女から聞いたので、「あっちでサランヘヨって言って貰えたらいいね~♪」と冷やかして言ったら、まんざらでもなさそうな、期待に満ちた様子だった。
言った私だけがその皮肉を味わい、あちらでの彼女の身の危険をひそかに憂える。
「韓国男はストーカー気質!それに強姦犯罪率が桁外れに高いんだよ?特に日本人女なんか被害に遭って当然、むしろいい気味だと向こうの人は思っているんだから、くれぐれも身辺に気をつけてね!」なーんて言ってせっかくの期待と乙女心に水を差したら気の毒じゃないの。
嫌韓発言ではなく単に事実なんだけれど、そんなこと言ったら嫌な人だと思われちゃうしィー。
好き好んで行くのだから私がお節介で止める筋合いはないですし!
こういうのもわりあいオツなんです。
つくづく性格悪いなぁ。
by yuzuruha_neko | 2005-04-30 23:15 | 放浪インターネット
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