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Die Vergangenheit, die nicht vergehen will
過ぎ去ろうとしない過去。
別にエルンスト・ノルテ本人が作ったテーマではなく旧西ドイツの年中行事であったレーマベルク討論会の公演テーマとして提案されたものなんだが草稿は書いたのに公演されなかったらしい。
フランクフルター・アルゲマイネ紙の1986年6月6日号に掲載された経緯もわからないが、歴史家論争のまとめ本がそういう表題になっている。
ちなみに現在の日本の出版事情だと全文翻訳で出版することはできないそうだ。
そんな検閲体制に殊更驚きもない日本の新聞・出版界の言論の自由謳歌っぷりは素晴らしい!

ノルテ批判陣営(ハーバーマスは保留)の言論を一瞥すると「こいつら歴史学者でも社会学者でもなく単なる哲学被れの厨二病的イデオロギストじゃねーか」と思うほど読みにくくてこりゃめんどくせー本だなと思ったが、ノルテもめんどくさい言い回しでボルシェビキやオスマントルコ他さまざまな例えを出すから読みにくいし攻撃の隙だらけでレッテル貼られまくるんじゃないかと思った。
しかし冷戦の真っ只中という時代背景もあるし、文化人類学者がちょっと取材した程度の読みモノ本としてもかなりお粗末と言わざるを得ないリトアニア苦難史本(驚いたことにNHKブックスなんだぜこの作文クオリティで…)も、リトアニア=被迫害者という強迫観念でもあるのかと疑われるほど酷い描き方とは言え「おそロシアはモスクワ大公時代から血管凍結してたんだなー」と、まさに冷血非道国家として周辺諸国から非常に恐れられていたことが察せられる。
おそロシアに限らず「その時、そこでは実際にどんなことが起きていたのか?」という疑問に応える数多の事実は後の学究的検証による判明を待たなければいけないため、多くの人の心の中で現在進行形の恐怖として生き続ける。
しかし、ある程度の時を経るとそのライブ感あふれる恐怖を共有できない人、つまり後世の人々が増えて行き、原則的に時が経つほど検証を経て得られた事実が増えるため、「その恐怖は当時(過去)のもの」といった解釈が世間一般的になる。
ロシアや旧ソがどれほど恐れられていたのか、私もよく知らないのでライブ感あふれる共感的恐怖は湧きにくいし、「もっとライブ感が必要なんだよ!」と言われてもまだライフすら始まっていない時代の話でしかもライフが始まった頃は見えない世界にいた国が過去に巻き散らした恐怖にライブしろと言われてもなかなか難しい。
そんな私は学校で習う世界史(=動機付けとしての基礎情報)に加えて書物や映像やインターネット、時には匿名掲示板の軍板や軍事ネタサイトというマニアックな処も覗きながら得た多様な情報(伝聞も創作物も立派な情報である)を蓄積しながら結局プーチンの容姿や言動、付け加えればスターリンの威風堂々とした独裁者的風貌やスターリン伝説に「おそロシア」像を見ているため、旧ソ崩壊を経ても窮鼠とならなかった(なんという駄洒落)ロシアの政治的理性をそれなりに信用できると思うわけだ。
旧ソ崩壊を経た後世に属する世代になってしまったため現役世代が感じた恐怖を共有的に共感することも難しく、今後しばらくの対外政策を信用できる(ローリスク、あるいは優先性の低い懸案事項)と言えるものの、現役世代にとってそれは後世の、過去の出来事ではないから現在もその恐怖は生き続けている。
しかしその恐怖が過ぎ去りし過去のものではない(あるいは「なかった」)人、特に財産を没収されシベリア収容所や強制労働監獄に近いコルホーズに送られながらも幸運にも死を逃れた市井の人たちは老いによる生命活動の停止によってもうだいぶ数が減ったと思われる。
おそロシアに関しては長らく情報が遮断されていた(チェルノブイリ原発事故についての情報なんか今でも穴だらけ)という不運もあって、老いた元パルチザンらリトアニア人が「あのロスケどもの極悪非道っぷりを是非伝えてくれ」とフィールドワークという名目で遠方からやってきたヤポニヤとかいう田舎者に涙ながらに訴えたりするのだろう。
旧東側陣営だけではなく旧西側陣営にしたってレッドパージの時代、「ソ連(当時)の対外政策の安定性を信用できる」なんて言ったらこんな時間に



以上ノルテの長ったらしくメンドくさい多数の引用の意図を私なりの簡易表現にしてみた。


すべてが疑問の対象とならなくてはならないという基本的な公理を念頭におけば、『ホロコースト』と600万人の犠牲者という定説に疑いを抱くことは人々に対して軽蔑の念を持っている邪悪な精神の証であるとみなすべきである、そして、できればそれを禁止すべきであるという広く広まっている考え方は、いかなる状況の下であれ、学問としては受け入れられない。学問の自由という原則に対する攻撃として退けるべきである。
-1993年発行「Steitpunkte 論点」ノルテより


わかりやすく言うと「学究に禁忌があるなんて自由な学問の精神に反します」
ノルテの一貫した主張を集約するとそのひと言で済むんだけどね…。
実際ノルテは一時的にせよ危険思想的な何かとして言論の自由を奪われたので説得力が。
ノルテ批判側はノルテを「学者としてレベル低いね~あんなのが大学教授とかww」と言っていたわけだがやはり学問や学究に対する真摯な姿勢と主張は学者の鑑であろうと私はオモタ。
というかノルテ批判派が大論争を起こしてまで一生懸命ノルテを否定せざるをえなかったこと、また日本でもノルテに対する過剰な危険視をともなう否定的な刊行物のほうがメジャーな認識に繋がっているということ自体がノルテの主張を裏付ける現象である。
ベトナム軍がカンボジアに侵攻した際地雷を埋めまくって今でも犠牲者を出し続けているというノルテの挙げた一例が決してクローズアップされない点も重要。
リトアニアにしてもポーランドと結んでチュートン騎士団を追い出し繁栄を極めた黄金時代、つまりリトアニアがポーランドの子分格だったにしてもそれほど「かわいそう」ではなかった時代、リトアニア領になったウクライナやベラルーシ、モスクワ、クリミアなどに元から住んでいた人たちは全然「かわいそう」ではなかったのか?といった疑問は当然思い浮かぶよね(著者の先入観ありきの作文物語はまるでリトアニア人がそんな疑問を些かも持ち得ていないかのようにも受け取れるため、逆にリトアニア人に悪印象を抱かせかねない駄作だと思う)。
そういった相対化は歴史学における必然過程なんだがノルテ批判者は「相対化によってナチスの犯罪の唯一性を否定するなんてとんでもない!」と思想宗教的に歴史学の在り方そのものを否定する。

ここで「マスコミがオウムを取り上げたからあんなことになった」と言われても困るけど…。
オウム真理教による大規模テロ事件後に「マジキチ放置は危険だな」「高学歴の人ほど宗教にハマりやすいんだよね」と単に異端視するだけで済ませている状況だと思いなせぇ。

第三帝国に関する検証的学究が禁忌とされ続ける限り第三帝国は過ぎ去ることなく邪悪な魔物として輝きを増しながら生き続けるであろう、というノルテの指摘は実に的を射ていると思うよ。
「過ぎ去ること=忘却・滅却」という解釈を前提としてノルテを否定せざるを得ない人こそ第三帝国を不滅たらしめている。
第三帝国の犯罪の唯一性を侵してはならない(不滅でなくてはならない)という主張は思想の全体主義を強いる政治宗教的な何かであり学問に禁忌なしと異論を唱えるノルテにとって到底受け入れられない主張であることは明白だ。

しかしこいつら議論するなら簡潔な表現を心がけてくれないか。
まるで前総理の弁舌の如く冗長すぎる上に揚げ足の材料提供しまくりでなんというか。

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by yuzuruha_neko | 2010-07-30 05:28 | 今日のニュース・雑考
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