複数の他のユーザーから苦情が出ると記事が削除されます・1
強調文字は筆者によるものですが、青文字部分は全部Wikipediaからの転載です。
というわけで訴えるならWikipediaの編集者を訴えてください。
私個人は理由(意味)と根拠なき差別は撤廃するべきだと思っていますし、そのためには自由な言論の場が保障されるべきであり、臭いものに蓋では何も解決しないと断言します。
エキブロは事前の勧告も通告もなしでいきなり記事削除するからホントやめれ。
すわハッキングかとガクブルした時は「不正アクセスされた可能性があります」という記事を書いてそこそこアクセスが増えたらやっと「複数の他のユーザーから苦情が出ていたため」という回答が届いたものの、削除理由の説明になっていない上に「複数の他のユーザー」が苦情出したら事前勧告も通告もなく記事削除して、ヘルプに問い合わせても不正アクセスという不名誉な噂が流れたら困るって段階でようやくそんな返答とかマジで言論の自由がないから、ねっ?
火薬庫と呼ばれる国のこと書いたらそこだけ記載がそっくり削除されたりとか普通にあるの。
いや言論統制怖いねー。

創価と同和に言及した時点でいつ(私ごと)消されてもおかしくないなとは思ってるけど。


部落問題

差別とされた表現の例 [編集]

1956年1月、小説家石上玄一郎が『朝日新聞』文化欄に発表した評論の中で「文壇には、特殊部落的偏狭さがみちみちている」と記述。これに対して部落解放同盟が朝日新聞社を糾弾。朝日新聞社は「今後、部落問題をタブー視せず、前向きに差別の現実を書く」ことを約束した[18]。

1967年1月と2月、小説家で精神科医のなだいなだが『毎日新聞』朝刊の人生相談欄『悩みのコーナー』にて、結婚差別を受けたという部落出身女性の投書に対して「部落民という考えは、内部の劣等感によって支えられている」「小さなつまらぬ悩みだ」と回答したところ、部落解放同盟が糾弾に乗り出した。

1969年、経済学者大内兵衛が、岩波書店刊行の雑誌『世界』3月号に論文「東大は滅してはならない」を発表。この論文における「大学という特殊部落の構造」という表現が部落解放同盟によって追及され、執筆者大内と岩波書店が糾弾を受けた。『世界』3月号は回収処分となり、編集部と大内が同誌の4・5月号に謝罪文を発表[19]。

1970年、児童文学者今江祥智が長篇童話『ひげのあるおやじたち』(福音館書店)の中に非人を登場させ、「非人たちは、いつもどこか死人のにおいがした」(pp.112-113)、非人部落の描写として「なんともかともいえぬにおいが、下のほうからむっとのぼってきたのだった。目のなかにまでしみるようなにおいだった」(p.116)などと記述。これらの表現が部落差別を助長しているとされたため、今江は部落解放同盟から糾弾を受け、1971年4月、『日本児童文学』誌に「わたしの中の"差別"」と題する反省文を発表。『ひげのあるおやじたち』は直ちに絶版・回収・裁断処分となり、2008年に『ひげがあろうが なかろうが』に併録される形で解放出版社から復刊されるまで公刊されなかった。

1973年7月19日、司会者玉置宏がフジテレビのワイドショー『3時のあなた』にて「芸能界は特殊部落だ」と発言したところ、1973年8月16日、部落解放同盟が玉置とフジテレビと関西テレビを相手取って確認・糾弾会を開いた。玉置は謝罪し、テレビ局側は部落問題解決のための番組作りを約束した。

1973年9月、映画評論家の淀川長治が『サンケイ新聞』のインタビュー記事にて、自らの庶民性を示す証として、両親から近寄らないよう言われていた「特殊な部落にある銭湯にはいったこともあった」、「この貧しい人たちと液体で結ばれたと思ったのにねぇ」という経験を語ったところ、部落解放同盟が「両親の差別意識を肯定するとともに、自らのエリート意識をさらけ出すもの」「エセ・ヒューマニズム」(宮原良雄)と反撥し、糾弾に至った[20]。この事件の後、サンケイ新聞社は1974年11月から1975年3月にかけて、部落問題の特集記事として『シリーズ・差別』を大阪本社発行の朝刊に連載した。淀川は、部落解放同盟大阪府連合会制作による狭山事件告発映画『狭山の黒い雨』を部落問題の視点から批評するよう約束した。

1979年8月、曹洞宗宗務総長で全日本仏教会理事長(当時)の町田宗夫が、米国ニュージャージー州プリンストンにおける第3回世界宗教者平和会議にて、「日本に部落差別はない」「部落解放を理由に何か騒ごうとしている者がいる」「政府も自治体もだれも差別はしていない」と発言。このことが部落解放同盟から「部落解放運動の全面否定」とされ、糾弾に至った。

1981年2月、政治学者で東京大学社会科学研究所教授(当時)の有賀弘が、ベルリン自由大学における日本学研究室の金子マーティン講師(当時)の部落問題に関する研究発表に対し、「部落問題は東日本にはない。西日本にはあるが、それは部落解放同盟と日本共産党との同和予算をめぐる金銭上のトラブル」「日本語の部落という言葉は、村落とか集落とかいう一般名詞であって何も差別を意味するものではない」と発言。このことが部落解放同盟の糾弾を招いた。

1989年、ニュースキャスターの筑紫哲也が「ニューヨークの街も多分屠殺場だね」と番組で発言をした。当時、公の場で使われる差別的な言葉が問題となっていたため(批判的な意味で言葉狩りとも呼ばれた)、筑紫は「屠殺場」という言葉の使い方が不適切であったとして翌日に謝罪をした。しかし一部の屠場労組から抗議があり、部落解放同盟も加わっての糾弾会が行われた[21]。

2004年、代々木ゼミナール講師(古文担当)の吉野敬介が講義の中で「鑑別所にランクってあるんです……俺なんか暴走族の特攻隊長のとき、入ってんだよ。鑑別所に入った瞬間に、天皇陛下級なの、ほんとに……レイプとかな、強姦なんかで入っちゃった日にゃ、な、エタ・ヒニンだ。ほんとに」などと発言。このため吉野と代々木ゼミナール法人総括本部長ら計6人が共に部落解放同盟から糾弾を受け、吉野は反省文の提出を、代々木ゼミナールは「人権研修」の実施などを要求された[22]。

2005年、テレビ朝日系の番組「サンデープロジェクト」において、ハンナン偽装食肉事件に関する報道VTRの放映の直前に生放送中のスタジオ内で田原総一朗が「この人(浅田満)をやらないマスコミが悪いんですよ。この人が被差別部落のなんとかといってね、恐ろしがっている。何にも恐ろしくない。本当はね。それを大谷さんがやるんだよね。この人は被差別部落をタブー視しないからできる」と発言し、それを受ける形で高野孟が「大阪湾に浮くかもしれない」、うじきつよしが「危ないですよ二人とも」と発言。これらの発言を部落解放同盟が「部落への強烈な予断と偏見を視聴者に植えつける」ものと位置づけたため、糾弾に至った(サンデープロジェクト糾弾事件)。



ほとんど言葉狩りじゃん…。
言葉狩りのついでにメディア操作、手口として悪質だなぁ。
あと(地域差を指して)「差別なんかないよ」と解同の存在意義を否定しかねない発言をすると「差別はある!」と怒られるわけか。
んなこと言ったって子供の頃地元に2箇所屠殺場があったけど、友達はみんな「牛小屋(あるいは豚小屋)」程度の認識(いちおう都会なのですごく物珍しいものという認識はあった)しかなかったし、偶然(両親と散歩中に)屠殺場から河川に流れ込む血の濁流を見てオエっとなってしまったこともあったけど、これちゃんと処理しなくていいのかよ…直接排水していいのか?衛生上の問題ないのか?細菌とか混じってね?と思っただけだし。
両親も血の臭気に顔顰めてたけど、「ひどいなぁ」「汚い…」と言ってただけだったし(妙に口数が少なかったことが印象的だったけど、なんか思うところはあっても私に言う必要ないと思ってたんだろうね)。

しかしそう言っても「それ自体が差別だ」とか「よく知れば彼らに対する差別の実態が分かる」とか言われたってなんだよその差別の押し売りって思うし。
もともと地元民どころか地元という概念すら存在しなかったような人口大量流入地域で血筋や生業による差別を説かれても子供は実感を伴って理解できる範疇じゃないし、「でも確かに現在も信じられないような酷い差別があるんだ」と熱心に説かれたところで「だからどこの話だよ」「で、私らにどーしろと?」とウンザリしちゃうし。
あんまりしつこいとホント「だからどうしろと??」と問い詰めたくなる話。
ちゃんと学校で道徳という名の人権教育を受けて同和差別くらい習っているよ忘れてないよ。
知りたくないわけじゃなくて、今も差別が行われていると繰り返し繰り返し身に覚えのない、というか古代か異国の話にしか聞こえない逸話を聞かされて、「少なくとも自分は何も意識してない」と応えると(そうとしか言えないやんか)、「そういう無関心な態度が世の中に差別を蔓延させる」とまるで意識してないこちらに非があると言わんばかりの非難がましい反応を見せる。
一体どんな、不快にさせる以外にどういう目的があって啓蒙活動してるんだかわかんないんだよこの手の話に熱中する人って。
こうやって記憶に刷り込んで語り継いで貰うのが目的だと近年わかったけど、自分らで一方的にそういう不快感を与えておいて「今も差別は存在する」とか「理解が得られない」とかねぇ…。

あー、在日三世の人も(異民族間の)「差異は血筋なんてバカなこと言いませんよね?(笑)」といきなり吹っかけてきて、血・血・血とレイシスティックな主張しまくった挙句、私がログ提示して「異文化社会について話しただけ、血なんか気にしてない」と正直に押し通したら、後でシンパの人が「気にせざるを得ない立場に追いやられたことがない特権階級の無意識の優越感ですよね」と嘲笑ってて、あんな感じに似てる。
気にしてると言えば差別だと糾弾するし、気にしてないと言えば無知だのマジョリティの驕りだのと糾弾するし、やってらんねぇ的な。

なだいなだって懐かしい胡散臭いオッサン。
でも職業柄この発言で糾弾されるのはちと気の毒すぎやしないか。

筑紫の「不用意な発言」は予定調和なのでともかく、サンプロも田原がいた頃は…。
しかしテレ朝の用意周到さはお前らこの時を待っていたのかと思わせる素晴らしい対応www
こういうラクなバイトしてみたいねぇ…ファーストフード店に並ぶだけとか格安洋品店に並ぶだけとか。
きっと某在日外国人団体では苦情係の人がテレビ監視しながら電話かけまくってんだな。


差別とされなかった表現の例 [編集]

松本治一郎は、1952年7月、徳川夢声との対談で「『部落』と書こうが『エタ』といおうが、問題じゃないんです。……その前後に差別の意味が加わってさえいなけりゃ、少しも問題はないわけですよ。それを糾弾するというのは、ことさらためにしようとするハシッパのもんです。……悪い奴にかかると、やっぱりヘンなことが生ずる」[23]と語り、差別表現として糾弾するか否かはその語が差別的文脈で使われているか否かによるという見解を示したが、1948年には松本自身が「私は三百万部落民の水平運動から、さらに数歩をすすめて、いわば世界の特殊部落におちこんだ八千万日本人民の水平運動をおこしたいと考えているのだ」[24]と述べ、特殊部落という語を差別的文脈で使用していた。しかしこれは糾弾の対象とならず、松本自身も自己批判しなかった[25]。

1952年8月20日、『解放新聞』は「おじいさん達も斗つた─八十一回目の解放令記念日を迎え」と題する山村慎之助の記事を載せた。この記事の中では「再軍備と植民地化に反対し、民族の解放を斗いとることが、外国帝国主義と国内反動のために世界の特殊部落になれはてた日本民族全体の死活の問題として切実に出されてきている」と、やはり特殊部落という語が差別的文脈で使われていた。しかし、これもやはり糾弾の対象とならず、『解放新聞』も山村も自己批判しなかった[26]。

小林よしのりがゴーマニズム宣言で「穢多」と誤って書いてしまったこと。抗議を受けなかったが、自らこれをミスである(漢字で書くのは誤り)と作中記している。



自己批判という言葉が…なんか特定の思想団体を連想させるんですが…。
小林の、というかゴーマニズムのアレはチラ読みしたけどすっげー気持ち悪かった。
九州出身でいいおっさんの小林と、東京出身(両親は東北・北陸出身)で小林とはかなりジェネレーションギャップがある世代の私とでは当然認識レベルが根本から違うのだろうが、「*ッタの血が入ってしもうた~!」という台詞なんか「何それキモッ!」と思ったし、小林が当事者として描いているから小林(含む周囲の人間)の差別意識がこの世のものとは思えないくらいに怖くてキモかった。
てゆーか、父も母も手術で輸血受けたけど、どこの誰の血とか普通に知らされないし、そんなこと事前にも事後にも聞かないだろ…。
小林本人の人格や才覚として評価することじゃないけど、西日本はやっぱ怖い。

ちなみに肝機能障害起こすほど長期間にわたってアレなお薬を服用し続けている私の血はそもそも献血できないシロモノなのでご安心ください。


地域較差 [編集]

被差別部落の数や部落問題の認知度については大きな地域較差がある。差別の対象となった賤民身分や被差別部落の呼称も地域により様々であり、一般に関西を中心とした西日本には大規模な被差別部落が多く存在し、解放運動が盛んであるが、関東地方では被差別部落自体が比較的少ないことから認知度が低い傾向にある。

北陸地方や東北地方では被差別部落がごく少数点在するのみであり[27]、明治期以降解放運動の盛り上がりに欠けていた。学校での教育なども行われないため、これらの地域の住民は部落問題への認知度自体が非常に低く、「部落」と言う言葉も単に一般の集落や町内会を指すことが多い。北海道や南西諸島には歴史的な被差別部落は存在しない。

北陸地方で部落問題が発展しなかったのは全国の被差別民も多く帰依していた浄土真宗が大多数を占めることが一因である。浄土真宗では武士、猟師、そして被差別民の「役務」・「家職」にともなう殺生は、忌避の外としていた。例えば越中(富山)には「稼職に非ざる殺生を致し申す間敷事」という「念仏行者心得か条」が残っている。越中(富山)の被差別民にあたる藤内は隔離される事無く、集落に分拠していたため被差別部落そのものが形成されなかった。

加えて、1980年代後半以降、これらの地域では急速な過疎化が進み、1990年代以降は被差別部落も含め消滅する集落が珍しくなくなった。この状態で被差別部落の隔離が維持されることはなく、意識が低かったこともあって部落問題そのものが過去のものとなりつつある。[28]



強調文字部分が特に興味深い。


部落問題に関連する団体の対立とインターネット [編集]

「最近、都会やその近郊では近隣の住宅や人の移動などで存在が薄れ、部落差別は現在はほとんど意識されることがなくなった」とも言われるが、最近でもその存在その物をタブーとする人においては差別意識が改善されたのではなく、単に忌避意識が潜在化しているだけであるという解釈もある。

また、糾弾闘争に対して、近年では、「差別とされる内実も、被差別部落出身だからというよりも、強力な圧力団体がバックについているがゆえに敬遠され、差別解消を建前とする部落解放同盟が、反対に真の意味での差別解消を妨げている。自己目的化した団体は、本来の目的を達成することでその存在意義を失うことを恐れている」とする主張もある。

その一方で、出版物やインターネットなどでアンダーグラウンド情報などとして、差別を煽動するような情報が流されるという事実もある(アマチュアパケット無線での「地名総鑑」流布事件)。

また、「苛烈な『糾弾』への忌避感情」を利用して押し売りや恐喝等を行うえせ同和行為(2007年には在日朝鮮人による犯罪も発覚している)も部落問題の解決を遅らせている一因となっている。



えせ同和問題(誤解されやすい呼称っすねぇ)は東京でも問題になってる。
差別がなくなったら飯のタネがなくなると自ら明かしてどうするんだっていう。


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by yuzuruha_neko | 2010-02-13 08:20 | 今日のニュース・雑考
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