三億円強奪事件とグリコ森永事件(加筆予定)
なんとなく名前を出してしまったのでウィキペディア(Wikipedia)で調べてみた。

三億円強奪事件

事件の経緯 [編集]

1968年(昭和43年)12月6日、日本信託銀行(後の三菱UFJ信託銀行)国分寺支店長宛に脅迫状が届く。翌7日午後5時までに指定の場所に300万円を女性行員に持ってこさせないと、支店長宅を爆破するというものであった。当日、警官約50名が指定の場所に張り込んだが、犯人は現れなかった。

4日後、12月10日午前9時30分頃、日本信託銀行国分寺支店(現存せず)から東京芝浦電気(現・東芝)府中工場へ、工場従業員のボーナス約3億円(正確には2億9430万7500円)分が入ったジュラルミンのトランク3個を輸送中の現金輸送車(セドリック)が、府中刑務所裏の府中市栄町、学園通りと通称される通りに差し掛かった。

そこへ警官に変装して擬装白バイ[1]に乗った犯人が、バイクを隠していたと思われるカバーを引っ掛けた状態のまま輸送車を追いかけ、輸送車の前を塞ぐようにして停車した。現金輸送車の運転手が窓を開け「どうしたのか」と聞くと、「貴方の銀行の巣鴨支店長宅が爆破され、この輸送車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡があったので調べさせてくれ」と言って行員を輸送車から降ろさせた。

4日前に支店長宛ての脅迫状が送り付けられてこともあり、その雰囲気に行員たちは呑まれてしまっていた。犯人は、輸送車の車体に潜り込み爆弾を捜すふりをして、隠し持っていた発煙筒に点火。「爆発するぞ! 早く逃げろ!」と避難させた直後に輸送車を運転し、白バイをその場に残したまま逃走した。この時銀行員は、警察官(犯人)が爆弾を遠ざけるために輸送車を運転したと勘違いし、「勇敢な人だ」と思ったという。しかし、バイクに詳しい銀行員が残された白バイが偽物と判断できたことから偽警察官による現金強奪事件が早くも判明した。

9時50分に伊豆・小笠原を除く東京都全域に緊急配備が敷かれた。奇しくも、この日は毎年恒例の歳末特別警戒の初日であった。警察は要所要所で検問を実施したが、当初は車の乗換えを想定していなかった事もあり、当日中に犯人を捕まえることができなかった。

被害金額約3億円(2億9430万7500円)は現金強奪事件としては当時の最高金額であった[2]。その後の現金強奪事件では金額こそ三億円事件よりも強奪金額が多い事件があるが[3]、1968年当時の3億円は現在の貨幣価値に直すと約20~30億円にあたり、貨幣価値においては現金強奪事件としては最高クラスである。捜査には7年間で9億円が投じられた。

三億円強奪事件ともいわれているが、事件のあった日本において、本件犯行は強盗罪には該当せず、窃盗罪となる。

1975年(昭和50年)12月10日、公訴時効が成立(時効期間7年)。1988年(昭和63年)12月10日、民事時効成立(時効期間20年)。日本犯罪史に名前を残す未解決事件となった。


遺留品 [編集]

犯人が残した遺留品が120点もあったため、犯人検挙について当初は楽観ムードであった。ところが、遺留品は盗難品や一般に大量に出回っているものであったため犯人を特定する証拠とはならず、大量生産時代の弊害に突き当たってしまった。

ハンチング帽
第1現場で偽白バイが事件現場まで引きずっていったボディカバーの中から発見されたことから、犯人のものと考えられている。汗を検出すれば、少なくとも実行犯の血液型を特定できたが、楽観ムードによるものからか、鑑定に出す前に刑事同士で交互に被ることで鑑定不能にするミスを犯していた。ハンチング帽は54個が出庫され、36個は所在が判明。残り18個は立川市の帽子小売店が市内の安値市で販売していたが、誰に売ったかまでは特定できなかった。

クッキー缶
偽白バイの書類箱に見せかけるためのクッキー缶。書類箱はカーショップでも発売されているのに、かなり異なるクッキー缶を使用した上にガムテープで取り付けるという改造方法だったことから、お粗末な白バイ改造とされた。そのため、犯人は白バイにかなり詳しい人物ではなく、素人でも改造できるレベルであることの根拠の一つとされた。クッキー缶のメーカーは明治商事だったが、3万個が流通していたために購入者を追及することを断念した。またクッキー缶を利用したことから、犯人の甘党説が浮上した。

<「舐めんな!」クッキー缶

新聞紙
メガホンは、白ペンキで2度塗装されていた。捜査に行き詰まっていたある日、上の塗装がはがれた部分に4mmほどの新聞紙の紙片が付着しているのを発見。地道に新聞紙を調べたところ、1968年12月6日の産経新聞朝刊婦人欄の「食品情報」という見出しの「品」の字の右下部分の一部であることが判明した。紙片の分析の結果、紙は愛媛県伊予三島市の大王製紙の工場で作られた物と判明。なお一部情報で「インクの具合、印刷状況から輪転機を特定し、その新聞が配達されたのが三多摩地区であることまで絞り込めた」という報道がなされたが間違いである。
配部数は13,485部、販売所数は12ヶ所。住民の転出入が激しかったことや、新聞を購読する家が頻繁に変わっていたことから捜査は難航し、2年掛かりでやっと販売所を特定できたが、時すでに遅く配達先の住所録は処分された後であり、この方面での捜査は徒労に終わった。

<ネトウヨの仕業だったのか。

ホンダドリーム
1968年11月9日に盗まれたバイク。白バイの車種であるため、犯人は当初このバイクを偽白バイに改造しようとしたと思われる。盗難後の走行距離が60キロと短いが、このバイクは持ち主によると盗難前からノッキングしやすい不具合があった。犯人は試運転でその不具合に気づいたため、白バイを別のバイクで改造したと推理された。

3台の盗難車
第2カローラ以外にも盗まれて小金井市の団地に放置された盗難車が3台(プリンススカイライン2000GT・ブルーバード・プリンススカイライン1500)存在した。車は盗難されたシートカバーで覆われていため発覚しにくかった。1971年(昭和46年)、工学者の額田巌は、警察の依頼で遺留品の鑑定を行い、2台のカバーシーツの紐結びを比較した。その結び方が異なるため、ブルーバードを盗んだのも三億円事件の犯人だとすれば、この事件は複数犯であると結論している[4]。

ギャンブル関連品
盗難車プリンススカイライン2000GTの中に競馬専門誌2部とスポーツ紙、府中の東京競馬場近くの喫茶店のマッチ、平和島競艇のチラシ。車の持ち主の身に覚えの無い物から、盗難犯の所持していたものとされた。そのため、犯人としてギャンブル愛好家説が浮上した。

女性物のイヤリング
プリンススカイライン1500の中から女性物のイヤリング。車の持ち主の身に覚えの無い物から、盗難犯の所持していたものとされた。犯人グループに女性の存在が浮上した。

脅迫状 [編集]
銀行に送りつけられていた脅迫状の切手に唾液があり、唾液からB型の血液型が検出されている。また、脅迫状は雑誌の切り貼りで文字を作っていたが、その雑誌が発炎筒の巻紙に使われた雑誌と完全一致したことから、脅迫状を送った犯人と現金強奪犯が同じであることが明らかになった。

多摩農協脅迫事件と日本信託銀行脅迫事件の両事件で送られてきた脅迫状の文面の特徴として以下の特徴があった。

「ウンテンシャ」「イマ一度の機会」など特定の業種が使う言葉を使用。
語句と語句の間を分ける「分かち書き」の使用。
強調点に「●―●―●」という記号の使用。
「オレタチ」「我々」などの複数犯を思わせる記述。
「コン柱オキバ」など電話関係者の業界用語の使用。
多摩農協職員の車のナンバーを特定している記述。

2つの雑誌 [編集]
脅迫状と発煙筒には「電波科学」「近代映画」という2つの雑誌が使われていた。捜査機関は2つの雑誌の読者の性向を絞って犯人を捜査。しかし、「電波科学」はテレビ配線図などを機械改造を望むマニアックな理系読者、「近代映画」は芸能情報を望むミーハーな文系読者、2つの雑誌の読者の性向は両極端であり、これらの雑誌を置いている書店に聞き込みをしても、2つの雑誌を併読している読者は皆無であった。その後の捜査で「電波科学」の読者にとって一番重要だった「配線図」のページが犯行に使用されていたことから、本来の読者であれば違うページを使用したと推理し、捜査撹乱のために全く不作為に2冊の雑誌を購入して犯行に使用しただけと結論を出して捜査を打ち切った。

<すすめ電波少年!かとオモタ…


実行犯に関する目撃証言 [編集]
事件の少し前に偽白バイに関する目撃証言が集まっている。11月下旬朝8時頃に府中市の市道を運転された青いバイク、12月1日深夜に京王線高幡不動の駅近くで一方通行の逆向きに停車された青いバイクが目撃され、二つとも4桁のナンバーが盗難白バイと同じであった。また12月9日午後8時40分には府中市の交差点で不自然なスピードで走行をする本物よりシートが高い白バイとのすれ違いに関する目撃証言がある。

現金強奪前の第三現場ではシートを被せられた白バイの目撃証言が寄せられた。現金強奪10分前の9時20分には何かを狙うように待機する白バイの姿が自宅にいた主婦に目撃されている。また現金強奪30分間前の9時頃に日本信託銀行国分寺支店から50メートル離れた空き地で銀行の出入りを伺う不審なレインコートの男を目撃した人物が4人いる。4人の目撃者によるといずれも身長165センチから170センチで30代くらいの男である。

直接の現金強奪の犯行現場となった第一現場では4人の銀行員の他に府中刑務所の職員、近くにいた航空自衛隊員。しかし、これらの目撃者の証言は曖昧だったり勘違いだったりすることもあった。

また、第二現場付近では泥水を車に跳ねられた通行人の主婦が思わず車のナンバーを控えたところ、盗難された現金輸送車のセドリックだったことが判明している。

<この主婦がいちばん偉かったんだな…

国分寺市の造園業者の親子が運転中に乱暴な濃紺カローラとすんでのところで接触事故になりかけ、猛スピードで国分寺街道方面に消えていった。造園業親子は若い無帽で長髪の男で助手席は無人で黒っぽい服を着ていたのを目撃。ジュラルミンケースは見ておらず、車のナンバーを見ていないが、挙動不審な運転や濃紺という目撃証言から、犯人が乗ったカローラ「多摩五郎」であることが確実視されている。

杉並区内の検問所で“銀色のトランクを積んだ灰色ライトバン”を捕捉したが突破された。これが最後に目撃された犯人の姿といわれる[5]。


捜査 [編集]
モンタージュ写真による捜査 [編集]
12月21日にモンタージュ写真が公表された。しかし、事件直後に容疑者として浮上した人物(後述の立川グループの少年S)の顔を見た銀行員4人が犯人に似ていることを根拠として、事件発生1年前に事故死した人物(写真撮影時は19歳)の写真を遺族に無断で用いたものであり、通常のモンタージュ写真のように顔のパーツを部分的につなげた物ではなかった。本来“このような顔”であるべきモンタージュ写真を“犯人の本当の顔”と思い込んだ人が多く、そのために犯人を取り逃がしたのではないかという説もある。

結局、捜査本部は1971年に「犯人はモンタージュ写真に似ていなくてよい」と方針を転換、モンタージュ写真も1974年に正式に破棄されている。しかしその後も各種書籍物でこのモンタージュ写真が使用されており、犯人像に対する誤解を生む要因となっている。

<え!?あれが犯人の顔ではなかったのか!!

容疑者リストに載ったのは実に11万人、捜査した警官延べ17万人という空前の捜査だったが結局、犯人を検挙できずに事件は時効を迎えた。

ローラー作戦 [編集]
事件現場となった三多摩地区には当時学生が多く住んでいたことから、一帯にアパートローラー(全室への無差別聞き込み)を掛けた。警察において被疑者とされた者の数は十数万人に及んだ。事件現場前にある都立府中高校に在籍した高田純次や布施明の名前もあった。もっとも、二人とも事件とは無関係であることが後に判明した。

<ローラー作戦は普通、刑事ドラマや杉下右京さんのような聞き方はしない
<故ナンシー関の本(文庫化されてたと思う)に詳細あり
<普通の聞き込み受けたことあるけど最初何が起きて何を聞かれてるのかよくわからなかった


なんか限界っぽいので寝るお。
高田さんなんか喋ってくれwww

ちょと追記。

「グリコ・森永事件」を読んでいたら寝屋川アベック襲撃事件と関係ありそうな書き方してる。
しかも「寝屋川アベック襲撃事件」の項目はなく、ググっても「グリコ森永」関係の記事に紛れて「寝屋川アベック襲撃事件」そのものの概要や詳細が出てこない。
「三億円強奪事件」に比べると歯切れが悪く言いづらい感じのことがあるような印象も多分に。
「グリコ森永事件」でググると他のキーワードとして「グリコ森永事件 部落」「グリコ森永事件 同和」とか出てくるし、もしかして触れちゃまずいことに触れようとしてるのかも…うーん。

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by yuzuruha_neko | 2010-01-19 02:30 | 宿題
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