「本当の自分」
「自分自身が思い描く自分の姿」と「他人の目から見た自分の姿」はまったく違うものである。
これは多くの人が知っていることでしょう。
分析が好きな人は、「なぜ他人の目には自分がそういう姿に映るのか?」というところまで自己分析するかもしれません。
私は自己分析などしないよ。
自信家で、自分をよく知っているとは思うけれど、他人の目には「なんか勘違いしている」と映ることもあるだろうと思うし、それはそれでまたひとつの自分の姿なのだろうと思うし。

「本当の自分」という言葉が割と気安く使われていますが、そもそも「本当の自分」って何だろう。
「他人は上っ面しか見ていない」とか「誤解されやすい」とか言うけれど、それって「本当は違うのに」という意味の言葉ですよね?
他人(※ここでは自分以外の人間という意味)が「あなたってこうね」と言うことが、自分の本意とは違うから出てくる不満の言葉なのではないかと私は思うのですが。
(もちろん「誤解されやすいワタシ」が好きな人もいるでしょう)

「本当の自分がわかってもらえない」と言う人は、別に自分自身が思い描く自分像に絶対の自信を持っているわけではなく、自分の解釈と他人の解釈のギャップに何かしらのショックを受け、納得しかねているのではないかと思います。

私はと言うと、そもそも「自分が思い描く自分像」と「他人が見た自分像」はまったく別個のもので、どちらか一方に真実の自分の姿があるとは思っていません。
他人の目に映る自分の姿。
他人が分析・解釈する私という人間像。
それがどんなに自分には的外れに思えても、それはそれで本当の自分の姿のひとつなのだと思います。
その人の目には映る私はそうなんだ~ってことかな。
その人の見たまま、ありのままの解釈に対して、「それは嘘だ、あんたの目は曇っている、何もわかっちゃいない」と言うのは相手に対して失礼というもの。
あまりにも的外れで不本意な解釈をされたら、その人とは深い縁がないか、自分のセルフ・プロモーション方法がまずいかのどちらかではないでしょうか。
そういう人とは無理して深く関わる必要はない。

セルフ・プロモーションについては、今は置いておきます(収拾がつかなくなるから)。

「わかってくれない」という言葉、私はあまり濫用したい言葉ではありませんが、「大人はわかってくれない」とか「子供はわかってくれない」とかよく使われる言葉ですね。
「わかってくれ」という言葉は、時に「俺は本当はこういう人間なんだよ。お前も俺のことをそういう風に思ってくれよ」という押し付けになる時もあるのではないかと思います。
本当に理解したい・されたい場合は納得が行くまでとことん話し合うのもいいでしょう。
それが必要ならば、やればヨロシ。
ただ他人が「でもやっぱりあなたのそういうところ、自己中心的で不誠実にしか思えない」と言ったら、その意見は謙虚に受け止めておいたほうがいいと思います。
自分の欠点は、自分ではなかなか気がつきにくいし見えません。
だから、そういう欠点も含めた自分の姿をありのままに正直に指摘してくれる人は、自分にとって有り難い人だと思ったほうがいい。
その欠点が的外れだと思ったら、また無視するのもヨロシ。
あくまで他人への礼は欠かさず、自分本位で行きましょう。

「わかってくれない」だけにとどまらず、「他人が自分をどう思っているか気になる」と言って悩んでいる人も、やはり実際にいるんですね。
同僚にもいました。
「みんながこんなこと陰で言っているみたいで、どうしたらいいかわからない…」と言って、ひどく心を痛めていた子が。
驚いて、「誰もそんな事言ってないと思うけど?」と言っても聞いてくれなかったな~。
一種の醜形恐怖みたいな感じでしたね…。
誰も気にしていない…と言うか、人はそこまで他人のことを見ていないし気にもしていないと思ったんだけれど(特に見た目について気にするような職場じゃなかったし)、その人は周りの同僚達が自分の陰口を言って嘲笑っていると思い込んでしまって、必死のフォローも空振りしていたようです。
彼女は今元気にしているのでしょうか…。
これは話が横道に逸れましたが。

「自分自身が思い描く自分の姿」と「他人の目から見た自分の姿」は違っていて当然で、そこに多かれ少なかれギャップがあるのもまた当然、という前提に気がつけば、結構「何があっても自分は自分だ」と気楽にやれるものです。
ギャップが大きすぎるようなら少し軌道修正すればいいだけの話だもの。
そこに気がつかない人が多分悩むんだろうな。
「私はそんなつもりじゃないのにどうしていつもそんな風に思われてしまうの?」と思い悩み、そのギャップをなきものにしようと必死になる。
かくして「本当の自分」という哲学が巷にあふれるわけだ。
「真実」や「本当」は人の数以上にいくらでもあるのに、それが唯一無二のものであると信じて「本当の自分」を追求してしまうのは何故なのだろうなぁ…。
そうやって「本当の自分」を探す人ほど、実際には自分が見えずに他人の目に振り回されているように私には思えます。

自分を信じるのは簡単。
「他人の目と自分の目は違う」ということを踏まえた上で、それを気にしなければいいんです。
他人に何か言われたらそれについて考えてみよう。
考えて結論を出すのは自分。
結論を人任せにしている人はあまり素敵じゃないし、後々「こんなはずじゃなかったのにあの人のせいで」と他人を恨むことになりますよ。
自分の言動や人生には自分で責任を持ちましょう。
好きなようにやれたから後悔はないわーっていつでも最後までも思っていられたらいいですね、私は。
あと自分の計画表を作らないことかな。
そんなもの不意に狂うに決まっている。
計画が狂った時に「こんなはずじゃなかったのに」と落胆・混乱するくらいなら、初めから何が起こるかわからないリスキーな状態に自分を慣らしておけばいい。

そんなわけで、お気楽・極楽・自信家の私があります。
私の文章を読んで「いやーな奴」と思っている人はいるでしょうね。
こんな風になりたくない人は反面教師にするといいでしょう。


そんな私でも、せっかくこうしてブログを書いているので感想を書き込んで頂けると嬉しいです。
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by yuzuruha_neko | 2004-08-01 23:18 | 今日のニュース・雑考
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