事実かどうかもわからないことを事実として教科書に書くな
「軍強制」復活し来週申請 教科書執筆者が表明
共同通信 2007/10/27 18:48


沖縄戦の集団自決をめぐる教科書検定問題で、教科書執筆者の高校教諭坂本昇さん(51)は27日、都内で記者会見し、自分が執筆を担当している教科書で「日本軍によって集団自決を強いられた」という記述を盛り込んだ上で、11月2日ごろまでに文部科学省に訂正申請する方向で作業を進めていることを明らかにした。

また、軍の強制部分に検定意見が付き、記述が削除された今回の問題自体や、9月末にあった検定意見の撤回を求める沖縄県民大会の記述も新たに加える方針という。

既に複数の教科書会社が「軍の強制」の記述を復活させて訂正申請する方針を固めているが、具体的な申請内容が明らかになったのは初めて。

坂本さんが執筆している教科書も、ほかの会社の教科書と同様、申請段階では集団自決に日本軍の強制があったとしていたが、検定意見が付き、強制部分を削除して合格していた。



日本は思想と言論の自由が保障されている国なので個人で何を主張しようが問題ない。
問題なのは、「軍の強制」という事実かどうかわからないことを教科書に記載することである。
「そういう証言もあるが事実関係ははっきりしない」なんていう書き方じゃないんだろ?どうせ。
人数水増し発表がばれた県大会のことを書くなんて自己満足以外の何物でもないだろ…。
県大会参加人数はやっぱり20万人と書くのでしょうか?それを既成事実にしちゃう気ですか?
歴史は検証によってのみ書き換えられるもの、個人の感傷で書き換えられるものではない。
まぁ今まで「軍の強制」という不確かなことを教科書に書いて教えてきたことが大問題だが。

日本では「死んだ人に禿はいない」と言って死者はみんな聖人君子となります(なぜ禿?)。
また生死の境を生き延びた、過酷な体験をした人の言うことを疑うなんてとんでもない話です。
しかし「語り継ごう戦争体験」という類の話と歴史的「FACTS」(事実)は異なるものなのです。
歴史的事実は時の勝者の手によって都合よく書き換えられる性質のものでもありますが、
確固たる証拠、動かぬ証拠なしに、なかったことを「あった」としてはいけないのです。
「あった」ことにしたほうが都合がいい国もありますが、自国の国益を第一に考えるのは当然。
日本は日本の国益と栄誉を守るために、証拠のないことを「あった」と認めてはいけません。
で、沖縄の集団自決ですが、「軍が強制した」という証拠はいまだどこにもないのです。
先日バンザイ岬を例に挙げましたが、追い詰められた民間人は崖から次々と飛び降りました。
それだけ米軍に捕まることは恐ろしく、幼い我が子ですら腰に紐で括りつけ自死したのです。
サイパンのバンザイクリフと沖縄の違い…それは旧日本軍が民間人の傍にいたかいないか。
「旧日本軍なら自決を強要したに違いない、サイパンでもそれは同じだ」という解釈もできます。
しかし、追い詰められた民間人の傍にたまたま旧日本軍がいた、そう考えることもできます。
どういう解釈をするのかは個人の裁量によりますが、事実は「軍令はなかった」という点のみ。
私は沖縄の生き証人が嘘をついているとは言いません、その人にとっての真実なのだから。
しかし、「軍の強制」は「FACTS」(事実)として確たる証拠も何もない思想的・政治的主張です。
思想的・政治的主張に基づき事実かどうかわからないことを事実と言ってはいけないでしょう。
生徒に嘘を教えることになるんですよ? 歴史的事実かどうかわからないのに「事実だ」と。
生徒に生き証人の証言を聞き継がせるという課外授業をやるだけではダメなんでしょうか?
教科書に証拠不十分で事実かどうかわからないことを書くのはダメだけれど(教えるのもだよ)
あの時代に生きた人々の暮らし・生き様を語り継ぐという試みなら私は大いに賛成します。

軍人さんも妻や恋人・家族がいる普通の日本人だったのに…なぜその尊厳は踏み躙られる。

時を経た今だから言える、真実(ほんとう)の事

保守工房【THE FACTS】紫

とりあえず、子供に嘘教えんな。

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