曽野綾子には別に興味ないんだが
【正論】曽野綾子 集団自決と検定 それでも「命令」の実証なし
産経新聞 iza! 10/23 05:28


■戦争責任と曖昧な現実に耐えること

≪大江氏の『沖縄ノート』≫

1945年、アメリカ軍の激しい艦砲射撃を浴びた沖縄県慶良間列島の幾つかの島で、敵の上陸を予感した島民たちが集団自決するという悲劇が起きた。渡嘉敷島では、300人を超える島民たちが、アメリカの捕虜になるよりは、という思いで、中には息子が親に手をかけるという形で自決した。そうした事件は、当時島にいた海上挺進第3戦隊隊長・赤松嘉次大尉(当時)から、住民に対して自決命令が出された結果だということに、長い間なっていたのである。
1970年、終戦から25年経った時、赤松隊の生き残りや遺族が、島の人たちの招きで慰霊のために島を訪れようとして、赤松元隊長だけは抗議団によって追い返されたのだが、その時、私は初めてこの事件に無責任な興味を持った。赤松元隊長は、人には死を要求して、自分の身の安全を計った、という記述もあった。作家の大江健三郎氏は、その年の9月に出版した『沖縄ノート』の中で、赤松元隊長の行為を「罪の巨塊」と書いていることもますます私の関心を引きつけた。
作家になるくらいだから、私は女々しい性格で、人を怨みもし憎みもした。しかし「罪の巨塊」だと思えた人物には会ったことがなかった。人を罪と断定できるのはすべて隠れたことを知っている神だけが可能な認識だからである。それでも私は、それほど悪い人がいるなら、この世で会っておきたいと思ったのである。たとえは悪いが戦前のサーカスには「さぁ、珍しい人魚だよ。生きている人魚だよ!」という呼び込み屋がいた。半分嘘(うそ)と知りつつも子供は好奇心にかられて見たかったのである。それと同じ気持ちだった。

≪ないことを証明する困難さ≫

これも慎みのない言い方だが、私はその赤松元隊長なる人と一切の知己関係になかった。ましてや親戚(しんせき)でも肉親でもなく、恋人でもない。その人物が善人であっても悪人であっても、どちらでもよかったのである。
私はそれから、一人で取材を始めた。連載は文藝春秋から発行されていた『諸君!』が引き受けてくれたが、私はノン・フィクションを手掛ける場合の私なりの原則に従ってやった。それは次のようなものである。

(1)愚直なまでに現場に当たって関係者から直接談話を聴き、その通りに書くこと。その場合、矛盾した供述があっても、話の辻褄(つじつま)を合わせない。
(2)取材者を怯(おび)えさせないため、また発言と思考の自由を確保するため、できるだけ一人ずつ会う機会をつくること。
(3)報告書の真実を確保するため、取材の費用はすべて自費。

今日はその結果だけを述べる。
私は、当時実際に、赤松元隊長と接触のあった村長、駐在巡査、島民、沖縄県人の副官、赤松隊員たちから、赤松元隊長が出したと世間が言う自決命令なるものを、書き付けの形であれ、口頭であれ、見た、読んだ、聞いた、伝えた、という人に一人も会わなかったのである。
そもそも人生では、「こうであった」という証明を出すことは比較的簡単である。しかしそのことがなかったと証明することは非常にむずかしい。しかしこの場合は、隊長から自決命令を聞いたと言った人は一人もいなかった稀(まれ)な例である。

≪もし手榴弾を渡されたら≫

この私の調査は『集団自決の真相』(WAC社刊)として現在も出されているが(初版の題名は『或る神話の背景』)、出版後の或る時、私は連載中も散々苛(いじ)められた沖縄に行った。私は沖縄のどのマスコミにも会うつもりはなかったが、たまたま私を探して来た地元の記者は、「赤松が自決命令を出したという神話は、これで否定されたことになりましたが」と言った。私は「そんなことはないでしょう。今にも新しい資料が出てくるかもしれませんよ。しかし今日まで赤松が自決命令を出したという証拠がなかったということなんです。私たちは現世で、曖昧(あいまい)さに冷静に耐えなきゃならないんです」と答えた。この答えは今も全く変わっていない。
戦争中の日本の空気を私はよく覚えている。私は13歳で軍需工場の女子工員として働いた。軍国主義的空気に責任があるのは、軍部や文部省だけではない。当時のマスコミは大本営のお先棒を担いだ張本人であった。幼い私も、本土決戦になれば、国土防衛を担う国民の一人として、2発の手榴弾(しゅりゅうだん)を配られれば、1発をまず敵に向かって投げ、残りの1発で自決するというシナリオを納得していた。
政治家も教科書会社も、戦争責任を感じるなら、現実を冷静に受け止める最低の義務がある。(その あやこ=作家)



本も読んだことがなければ人となりに興味を持ったこともない、すみません曽野先生。
確か母が曽野綾子をわりと好いていた記憶があるが、バリバリアカの母が曽野綾子ねぇ…。
いや曽野先生が右の人なのか左の人なのか興味もないし存じ上げませんが、
大江健三郎や井上ひさしと対峙する立場の人なら右かな、とお手軽に、イージーに。
そう言や実家には井上ひさしの文庫本があって、私は捨てたかったんだが母が許さなかった。
家庭内暴力など、井上ひさしという作家に既に嫌悪に近い感情を抱いていたのであった。
まぁ、乱読で何を読んだのかもすぐに忘れる私のことだから作家の話はどうでもエエ話。

<悪魔の証明>という、ネットでは有名すぎるほどの言葉が一般には浸透していない。

それをこういう大御所先生がさらっと書いて下さると有り難い(産経じゃ読者層は限られるが)。


あったことを証明することとなかったことを証明すること。

コンビニを出ようとすると、店員が「お客さん、お代、払ってくれなきゃ」と追いかけてくる。
さてコンビニでは雑誌コーナーの前で立ち読みしてピンク文庫もその時に隠れ読んだだけ。
日夜万引きに頭を悩ますコンビニ店主さんには非常に申し訳ない例だが堪忍したって下さい。
「ボクは雑誌を立ち読みしただけで何も買っていませんよ…」
「雑誌コーナーを回る時に文庫本、何冊か鞄の中に入れたでしょ?」
「いやホラ見て下さい、入っていないでしょ?本屋で買った本だけ、レシートもありますよ」
「そうは言ってもカメラの死角だし、隠す場所あるでしょ?」
こんな「やった」「やらない」の堂々巡りの解決法は単純明瞭に物証である。
鞄の中に見覚えのない本がぁ~~!ってのはハメられたんだがそうでなけりゃ物証は出ない。
日夜万引き犯と戦うコンビニ店主さんには本っ当に申し訳ない例え話で恐縮極まりないが、
「やった」と言われたほうは物証が出て来なけりゃ無罪放免なのである。
「やっていないというなら証拠を見せろ!」と言われたら「ンなバカな」と普通は思うだろう。
それが<悪魔の証明>である、「やっていないこと」の証明をしないと、「やった」ことにされる。
旧日本軍の将校たちが住民に自決用の武器を渡したまでは悲しいが想定の範囲内だ。
自決しようにも、軍属ではない一般市民は手榴弾も持っていなければ銃の撃ち方も知らない。
追い詰められた住民が次々と自決した場所として「バンザイクリフ」が著名な遺跡(?)だが、
武器も何も持たない一般市民たちは米兵に追い詰められ我が子を胴に括り崖からダイブした。
ダイブ前に泣き叫ぶ我が子を殺害してから飛び込んだ人もいると聞くがソース失念。
軍が命令したんじゃないならそういう空気を作った軍が悪いんだ!って言われてもな…。
時代の空気を作るものは一部の特権階級の人間じゃない、いつだって我ら庶民なわけさ。
鬼畜米英!生きて虜囚の辱めを受けず!という時代の空気まで軍部の暴走で生まれたって?
悪いのはいつも政治家とお役人で、庶民はいつも悪意に騙される善良な、ピュアな人々?
そうやって自分を「善良でピュアな人間」て位置に置いて他人を罵ることほど醜いことはない。
世の中が悪いんだ政治が悪いんだって言って、自分はその片棒を担いでいないわけ?
旧日本軍が悪いんだって思わなきゃやっていられない人もいるだろうと思う。
でも、その旧日本軍の兵士たちにも、あなた方と同じように家族がいて愛する人がいた。
戦後60余年、確たる証拠もないのに悪いことはみんな旧日本軍のせいにされてきた。
彼らが民間人の命を塵とも思わない悪鬼だったというなら、せめてその証拠を見せて欲しい。
死んだ人の遺品なんかじゃない、彼らが逃げ惑う民間人を殺し回ったという動かぬ証拠を。
「やっていないこと」の証明はできない、だったら「やった」というあなたが証拠を!
私は軍属・民間人関係なく等しくあの時代を生き、今に命を繋いでくれたご先祖様に感謝する。
「軍属だから悪い人」なんて言われても、日本を守るためにどれほどの兵士が血を流したか…。
60余年、罪を一身に被ってきた元軍属の人々・ご遺族の前でも等しく平和を祈りたい。

あとさ、わかんないことはわかんないことで60年以上前のことだ、諦めるしかない。
昨日今日起きた犯罪じゃない、戦後GHQの占領もあり、焼け跡の日本は混乱していた。
わかんないから死んだ奴に押しつけろ!じゃーあんまりだと思うのよね、ご先祖様に対して。
わかんないから軍がやったに違いない!軍が全部悪い!ってお前どこのガキだよ。

人のせいにばかりもしていられまいて。

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by yuzuruha_neko | 2007-10-24 20:02 | 今日のニュース・雑考
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