個人の良心の問題
世の中の大半が白黒はっきりつかないグレーゾーンで占められている、と思います。
そう物騒な世の中ではないのなら、細かい決まりごとは少ないほうがいいのです。
「物騒な世の中になった」と巷では言われますが、まだまだ日本の治安は格段によいです。
オフィス街で、お財布だけそのまま手に持って歩いている女性会社員がいますよね。
いまだに健在、尻ポケットに長財布を突っ込んで歩いている男性も大勢います。
おじさんに限った話ではなく、若者は手荷物を持つのが格好悪いのでズボンのポケットに。
行くところに行けば日本も危ないのでしょうが(大阪はひったくりが日本一多いと聞きました)
日本全体としては、海外の治安があまりよろしくない地域よりずっと安全で平和です。
まぁ治安に過敏になり過ぎて小さい子には危なくて話しかけられないという風潮もありますが。
でも「知らない人について行っちゃいけません」は一応子供の安全対策の基本だからね。
親切心でも「知らない人」が他所のお子さんと遊んであげたりするのはやめておくのが吉。
しかし虐待を受けていそうなお子さんとかならどうしようとか、昨今複雑な問題だね。
前置きが長くなりましたが、今日は別に日本の治安と防犯意識についての話ではありません。
「あった」か「なかった」か、白黒はっきりつけたい人がいるけれどつけにくい事象について。
沖縄戦における集団自決が軍による強制であったか否か、盛り上がっていますね。
また朝日新聞が捏造した「従軍慰安婦」という言葉から始まった「慰安婦」問題について。
(「従軍慰安婦」という呼称は朝日新聞の造語であり、それまでそんな名称はなかった)
また南京陥落の際、旧日本軍によって数百万人の大量虐殺が行われたか否か、などなど…。
間違えても酒の席で話題にしてはいけない(気の置けない友人であっても)話題です。

結論として。

集団自決はあったし軍人が自決用の武器を住民に渡したのは事実だが命令した証拠はない。
旧日本軍は当時の公娼制度に基づき慰安婦を公募したが、かき集めたのは民間の女衒たち。
南京では戦闘によって死傷者が出たり捕虜を殺害した事実はあるが、大量虐殺の根拠はなし。

つまり反戦兼反日プロパガンダとして主張される「事実」は実証されていないものばかり。
生き証人の証言しか判断材料がないのだが、残念ながら証言は事実の裏付けとはならない。
南京で虐殺がなかったとは言わないが、年々虐殺されたという人数が派手に水増しされて行く。
元慰安婦を名乗る韓国人のご婦人に至っては、辻褄の合わない証言が、しかもころころ翻る。
だから100%嘘で旧日本軍は何も後ろ指を指されるようなことはしていない、とは言わない。
何が起きても不思議ではないから、「あった」わけではなくても「なかった」とも言えない。
しかし「なかった」とも言えないからといって、実証されていないことを「あった」とは言えない。
「生き証人を疑うのか!」と人でなしのように罵られそうだが、「死人に口なし」という言葉もある。
激しい戦闘、空襲、地上戦を運よく生き延びた人々が言うことだけを鵜呑みにしていいのかな。
「運よく」などと言ったらまた「どれだけ苦しい思いをしたのかわかるか!」と怒られそうだが
軍人も民間人も、数知れない日本人が、あの激動の時代にはかなく一命を落としたのである。
生き延びた日本人も想像を絶する苦労をしたであろうが、命燃やし尽くした人々も沢山いる。
私はあの激動の時代に精一杯生き、その命を燃やし尽くした人々に、心より感謝したいと思う。
生き延びた人々が紡いだ命だけではなく、死した人々も今の我々に命を紡いで下さったのだ。
「軍人だから悪い加害者」「民間人だから可哀想な被害者」なんて区別(差別)したくない、私は。
死人に口なしとばかりに悪鬼に仕立て上げられた英霊たちも、今に道を拓いた先人である。
多分これは個人的な信心・信仰であって、万人の同意を得られる考え方だとは思っていない。

話を元に戻して。

「旧日本軍の蛮行」は、「あった」とも「なかった」とも言い切れない、が正解だと思う。
一日本人として「大部分はなかった」と思いたいところだが、今となっては検証不可能である。
また「なかった」ことの証明はできない、いわゆる「悪魔の証明」である。
しかし、「あった」と言う人たちは、検証によって事実が実証できれば、その主張は認められる。
旧日本軍が沖縄で自決せよと軍命を出したという証拠、強制的に慰安婦を務めさせた証拠、
南京に入った旧日本軍が数百万人もの民間人を暴徒のごとく虐殺したという証拠…などなど。
しかしそんな証拠は出てこないので「旧日本軍が(文書を)焼き払った」とか言うんだよね…。
焼き払ったと言うなら焼き払った証拠も出して下さい、捏造可能な「証言」じゃなく動かぬ「証拠」。
なんかね…日本政府は戦後賠償をすべて済ませたし、謝罪も幾度となく繰り返してきた。
それは「アジアの皆さんに迷惑をおかけしてすみませんでした」ということでそれはいいんだ。
本当に迷惑だったのかそうじゃないかなんて意見が割れるし、混乱があったことは事実ですし。
あの時代、欧米列強国とその支配下にあった地域で混乱のないところなんてなかったと思うが。
とりあえず日本はアジア諸国に進出したのでアジアにごめんなさいして補償も完済。
それで国として責任は取ったと思うし、けじめもつけて以降アジアの発展に尽力してきた。

「あった」か「なかった」か、検証不可能なことを「あった」ことにしたい人たちがいます。
その人たちの望みどおり「あった」ことにして、どのような心の平穏が得られるのでしょうか?
特亜三国にとっては日本を強請る外交カードとして手放したくない旨味なのだとわかります。
中国政府が発表する南京大虐殺の犠牲者数が年々盛大に増えて行くのがその証左。
しかし、沖縄や韓国のそれは、被害者意識が自意識の拠り所になっているのかなー?と…。
韓国の自称・元慰安婦のご婦人方は単なる強請りたかり根性って気がしなくもないのですが、
沖縄の人々にとって、旧日本軍によって家族を死に追いやられた、本土に見捨てられた、
という被害者意識を満たすことが、心の拠り所となり、心の平安を保つための安定剤だから、
なんとしてでも日本全国で、そういうことが「あった」ということにしておいて欲しいのかな~?と。
「検証不可能ならどっちでもいーじゃん」というのは個人の内心レベルなら問題ないですが、
(だから「あった」と信じる人がいても「なかった」と信じる人がいても、どっちでも構わない)
歴史教科書や国の公式見解として、検証不可能な過去の出来事を「事実」だとは言えません。
あったかなかったかはっきりしない話を個人の感情で「公の事実」としちゃいかんのです。

そういう不幸な出来事を生き証人が語り継いで行こうという志は別にいいのですが、
はっきりしないことを「あった」ことにしろ!と政治運動にしてしまう心理はよくわかりません。
壮絶な地上戦が民間人のいる島で行われた、集団自決という悲劇があった、それは事実で、
誰もそんなことは否定していないし、教科書だってそんな記述を削ろうという人はいません。
「軍の命令によって」という事実かどうかわからないことを書くのはやめようというだけです。
本当は誰にもわかんないんです、生き証人だって当時幼かった人たちばかりになりました。
幼い目に私が体験したことのない凄惨な光景がどう映ったのかわかりませんが、
幼い頃の記憶というものは実に曖昧で、その後の人生の歩みようで如何様にも改編されます。
別に生き証人が嘘をついていると言っているわけではなく、記憶は曖昧な性質だということ。
生き証人が事実だと信じて語り継ぐのはいいんです、その人の記憶を否定しません。
ただ、なんとしてでも旧日本軍による命令だったことにしたいという心理はなんなのかな~?
そういう運動をしている人たちの中は主に本土の人で沖縄県民は少ないという説もありますが、
やっぱそういう被害者意識の塊みたいな政治運動を見聞きすると悪い印象がつきますね。
一個人の記憶や感情であったかどうかわかんないことを公式見解にしちゃいかんのですよ。
「あったかなかったかわからんことについてはなんとも言えん」じゃ不満足なのかなぁ。
どうしてもあったことにしたいなら証拠を出せ!という話になってギスギスするんじゃないの?
「被害者」と言われる人たちとどう接するのかということは個人の良心の問題になるよね。

結局個人の良心の問題を政治問題にするからややこしくなるんだと思う。
政治問題にしたのは間違いなく朝日新聞社(と日教組)なんだが責任を取る気配なし。
日教組なんか「日の丸・君が代問題」なんて問題まで作っちゃって熱心ですよねぇ。
自分の思想・信条に従って職務放棄したら普通は免職(クビ)で当たり前なんだけれどね。
「日の丸の赤は血の色、白は骨の色」なんて教えている教師のほうが問題ありだろ。
自国の国旗や国歌を恥じ入る生徒にどこの国旗と国歌を敬わせる気なんだ。

まだまだ凹みモード。

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by yuzuruha_neko | 2007-10-06 02:15 | 今日のニュース・雑考
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