古森記者の記事で米国人がRAAの存在を知らなかったらしいことには驚きましたが、
古森記者の記事の「米軍の命令を受けて」だけがどうしようもなく心に引っ掛かっていた私。 RAAは日本政府が設立した慰安施設であり、米軍の命令があったという話は聞かない。 米兵による日本人女性への強姦など設立せざるを得ない背景があったことは想像に難くないが 設立自体が果たして米軍による要請もしくは命令であったのか━━もやもやしていました。 そうしたらもじもじスケッチのみずきさんが2ちゃんで完全翻訳を拾ってくださいました!感謝! 結論から言えば、そのような記述はない、古森記者の誤訳か思い込みか捏造である。 もし仮に古森記者の恣意的な捏造であったとすれば、そこに拘泥する必要はなかったと思う。 米軍が旧日本軍と同様、商業的な慰安所を利用していた、その一点で十分だったはず。 痛打の一撃となる記事であっただけに、故意か過失か、誤訳報道は残念なことである。 以下2ちゃんねる有志が訳したAP通信の完全翻訳記事。 (ニューヨークタイムズ) GIs Frequented Japan's 'Comfort Women' (p)http://www.nytimes.com/aponline/world/AP-Americas-Comfort-Women.html (p)http://www.nytimes.com/aponline/world/AP-Americas-Comfort-Women.html?pagewanted=2&_r=1 By THE ASSOCIATED PRESS Published: April 26, 2007 GIも日本の「慰安婦」を頻繁に利用 WW2中に行われた、慰安婦を兵士に供するするという忌まわしき行いには、知られざる続編があった。無条件降伏後、日本は米軍兵士に対して似たような慰安婦システムを用意していたのである。 この度初めて英訳された史料によれば、アメリカ当局は、女性が売春を行うことを強制されていたことを知りながら、公的な売春システムを作ることを許可していた。彼らは日本軍がアジアで占領地の女性に対して行ってきたひどい行いを十分に熟知していたにもかかわらず。 1946年の春、マッカーサー将軍がこれらの公的売春宿を閉鎖するまで、数万の女性が米兵に安価なセックスを提供すべく雇用されていた。 これらの史料によれば、これらの売春宿は45年8月以降、米兵が大挙流入してくる前に急遽設立されたもの。 「残念ながら、われわれ警察は占領兵のために売春宿を用意せざるを得なかった。」と、茨城県警の公式記録は伝える。「この政策の狙いは、プロの女性を防波堤とすることで、一般の婦人および少女を守るという点にあった。」 この命令は、1945年8月18日、日本の特使が降伏文書の作成のためにフィリピンへと発つ前日に、内務省から発せられた。 茨城県警は直ちに作業に取り掛かった。適当な施設は県警の独身寮しかなく、急遽これが売春宿へと改装され、海軍からベッドなどが用意された。20人の女性が集められ、9月20日に開業した。 「予想されたとおり、開業と同時に売春宿は大盛況となった(elbow to elbow)。 慰安婦は当初昨日まで敵であり、言語も人種も異なる人間を相手にすることに抵抗を示し、また大きな不安を感じていた。しかし彼女らの給料は高く、次第にかつ平和に彼らは仕事を受け入れていった。」 政府(訳注:どちらの政府かは不明、恐らく日本)の資金で運営されていたRAA(娯楽保養組合)の援助の下、警察当局と東京のビジネスマンは売春宿のネットワークを設立した。45年8月28日には厚木に占領軍の先遣隊が到着し、その日の夕方までには先遣隊の兵士はRAAの売春宿を見つけていた。 「私は2~3人のRAAの上役とその売春宿へ駆けつけ、そこに500人から600人の列が出来ていることに驚きました」と、RAAの広報担当主任のカブラギセイイチは1972年の回顧録に書き残している。アメリカの憲兵はこれら兵士の統制をするのに必死だった。 文民政府と警察によって作られ、かつ管理されていたにもかかわらず、そのシステムは日本軍がアジアに作り上げた慰安婦のそれと同じだった。 カブラギによれば、アメリカのGIは料金を先払いしてチケットとコンドームを受け取った。最初のRAA売春宿であるコマチエンは38人の女性を擁していたが、余りの需要に直ちに100人まで増員した。それぞれの女性が1日に15人から60人の兵士の相手をした。 アメリカの歴史家ジョン・ダワーは、彼の著作「敗北を抱きしめて:第2次大戦の日本の軌跡」の中で、1セッション(短いもの)で15円、タバコひと箱の半分ほどの値段だったと記している。 カブラギは、これらの需要の急増によって、ライセンスされた売春婦以外の女性に対してまでも募集をかけざるを得なくなったと記している。 コマチエンで働いていた19歳の女性(親族を戦争で失っていた)、タキタナツエは、事務員募集の広告を見て応募した。彼女はそこで慰安婦以外の仕事の空きは無いと聞かされ、その仕事を受けるよう説得された。 占領軍が撤退した1952年以降に書かれたカブラギの回顧録によれば、タキタは売春宿での仕事を始めた数日後、列車に身を投げたという。 「最も悲劇的な被害者は、『新しき日本の女性』を求む、という公募に応えてやってきた、何の経験も無い女性達だった」と彼は書いている。 1945年の終わりまでに、35万人の米兵が日本に駐留していた。この間、RAAは最大で7万人の売春婦を米兵のために雇用していた、とカブラギは書いている。可能性は必ずしも否定されていないが、日本人以外の女性が海外からこのRAAシステムのために集められたという明確な証拠は存在しない。 広島平和研究所の歴史学教授であるタナカトシユキは、カブラギの残した数字を立証することは困難だと警告している。しかし、タナカ氏は同時にRAAというのはこの時期に存在した売春宿の一部に過ぎず、私的な売春宿の数はこれらを大きく上回るだろうとも付け加えた。 田中の発見した史料によれば、アメリカの占領当局は、米兵を客とする慰安婦のためのペニシリンを日本政府に供与し、RAAの売春宿の近くに予防施設を設営し、当初は、米兵がそれらの施設を利用することを容認していた。 占領当局は、このGI向けの慰安婦システムが、日本軍兵士のためのそれに類似していることを理解していた。 1945年12月6日、GHQ厚生保険局のシニアオフィサーであったマクドナルド中佐のメモによれば、アメリカの占領軍は日本の慰安婦が多くの場合強制されていたことを認識していた。 「その少女は、彼女の両親の経済的困窮とその両親らの懇請、そして彼女自身の「自分が犠牲になっても家族を助けたい」という思いのために、売春宿と契約せざるを得なかったのだ」と彼は書いている。「しかしながら、われわれの情報提供者は、以前ほどではないにせよ都会部には奴隷として売春を強制される例がまだ存在する、と信じていた。」 従軍牧師からの警告(文句)と、この慰安婦問題が米国本土に伝わることへの懸念から、1946年3月25日に、マッカーサーは全ての売春宿を非合法化した。RAAはすぐに解散した。 マッカーサーの懸念はモラルの問題にとどまらなかった。タナカによれば、この時点までに米兵の4分の1以上が性病に罹患していたのである。 「全国的な売春宿の非合法化は15万人以上の女性の職を奪った」とタナカは2002年の性奴隷についての本に書いている。「その多くは非合法での売春を続けたが、その多くが性病と貧困に苦しんだ。」 海外からの集中的な圧力を受けて、1993年に日本政府は、アジアにおいて売春宿を運営し、女性に兵士への奉仕を強いたことに一定の役割を果たしたことについて謝罪した。この問題は依然として議論の的となっている。 1月に、カリフォルニアの下院議員マイク・ホンダは日本の性奴隷の使用に対する非難決議を提議した。これは、慰安婦に対する保証を行うための私的機関として、93年の謝罪の2年後に設立されたアジア女性基金の解散を前に、日本に対して新たにプレッシャーをかける思惑もあってのことであった。 この基金は、5万人とも20万人とも言われる、日本軍のために奴隷化された多くの女性のうち、フィリピン・韓国・台湾の285人の女性に対してのみ補償を行った。それぞれの女性は200万円を受け取った。オランダ人とインドネシア人の女性の一部も支援を受けた。 この基金は3月31日に予定通り解散した。 この基金のエグゼクティブディレクターであったワダハルキは、この基金の創設は日本のリーダー達の態度に重要な変化があったことを意味すると同時に、正義を行うべしという日本のサイレントマジョリティの意思の反映であると語った。また、この基金は私的なものではあれど、日本政府は46億円を支出したメインスポンサーであったという点も彼は指摘した。 しかし同時に、かれはこの基金が予想を下回ったということを認めた。 「ほとんどの女性は名乗り出なかった」と彼は語った。 日本女性に対する搾取を認識し、解決するための第一歩としては、この基金は完全に失敗だった。 彼女ら日本女性にはその資格があったにも関わらず、誰一人として補償を求めては来なかったのだ。 「日本の女性は誰一人として名乗り出なかった」とワダは語った。「彼女らが自身の意思と関係なく強いられていたのだと言える、と感じない限り、名乗り出ることは出来ないと彼女らは感じている。」 陸軍将校の倍の給与を得て、化粧品や煙草など様々な嗜好品を街に買いに出かけ、 さらに顧客の兵隊から贈り物まで貰っていた旧日本軍の慰安婦と違って劣悪な職場環境…。 性病が蔓延したということは、米兵は避妊具を渡されても使用しなかったということだろうか? 1日に60人もの米兵を相手にするなど、当時の小柄な日本人女性には地獄ではなかったのか。 RAAでは売春(娼婦)の経験などない素人の女性も、困窮のため、数多く働いていたという。 事務員募集と聞いて応募したが、慰安婦しか空きはないと言われた例からもそれが推察できる。 効率よく客をさばく術も、身体を庇いつつ性交する術も持ち合わせていなかった素人女性たち。 わずか数日で列車に身を投げたタキタナツエさんは、そうした女性たちの象徴的存在だ。 敗戦の後、辛酸を舐めた多くの日本国民のうち、彼女らの存在を忘れてはなるまい。 川魚屋本舗【わたしたちのにっぽん】3/4リブラグランTシャツ:白×赤〔レディス〕
by yuzuruha_neko
| 2007-05-14 22:19
| 今日のニュース・雑考
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