人権や自由/マジョリティでありながら差別や偏見に苦しむ人々
マイノリティやマジョリティという言葉を使うと過剰に反応する人がいる。
しかし昨今社会が多様化したせいで、また人権意識というものが台頭してきたせいか
人権や自由というものが、道徳観念や倫理観から語られることが多いけれど、
結局のところ利害関係、双方の利害関係に不一致が生じた場合に問題になるのだと思う。
人権とはぶつかり合うもの、と書いたが、双方の権利がぶつかり合い摩擦が生じた際に、
マイノリティのほうが「人権侵害」や「不当な差別」を主張しやすいのだろうと思う。
人種や国籍、性癖や出自によって、自ずから選ぶ選ばないにせよマイノリティとなる人がいる。
少数派である彼らは、多数派のために作られた社会の規範から外れているがゆえに
それを理由に不当な不利益を被っていると主張しやすいし、それが受け入れられやすい。
ただ単純に利害関係に不一致が生じたと考える人はあまりいないかもしれない。
多数派のために作られた社会だ、少々の不自由は我慢してくれと言ったら批判されるだろうな。
私ごときが言ったところでさして問題にはならなくても、同じことを政治家が言ったら致命傷だ。
したがって政治家はマイノリティや社会的弱者に優しい政策を掲げざるを得ないし、
「弱者に優しい」を売りにする政党は、与党などに「弱者切り捨てだ!」と息巻くのだ。
社会的弱者に対して、先進国家では救済措置政策を取るべきだとは思う。
しかし本当は誰がマイノリティで誰が社会的弱者なのか、ちゃんと考えなきゃいけないと思う。
イメージ先行で例えば障害者やお年寄り、女子供、在日外国人、同性愛者、部落出身者…
そういう人たちが社会的弱者と認識されやすいけれど、本当にそうなんだろうか。
またマイノリティ=社会的弱者とも限らないわけだし、単純にそう考えるのは危険ではないか。
マイノリティだから不当に差別され、虐げられているに違いない!…本当にそうなのかな?
私が思い至った隠れたアンタッチャブルな弱者は、心の病に罹った人たちだった。
ストレス社会と呼ばれ久しい日本には、精神科や心療内科などに通う人も多いだろう。
隔離するほど重い病状ではなく、薬物療法やカウンセリングによって社会生活を送れる人たち。
しかし彼らは自分の病を公言しない、隠し続けて仕事漬け生活を送り、ある日ドロップアウト。
そんなことも、現代社会では大いにありうるケースではないかと思うのだ。
彼らは障害者と違って、また他の病人と違って自分の病を隠すので実態も掴めない。
薬物やカウンセリングによりある程度の社会生活が送れる人であればあるほど隠したがる。
自分が心の病気だと認めたくないのかもしれないし、偏見が怖いのかもしれない。
そういう人々の心の重石、隠さなければいけないという重石を軽くする必要もあるのでは?
目に見える、わかりやすい弱者にだけ目を向けて、彼らに目を向けないのは欺瞞だと思う。
現代社会において決してマイノリティであるとは言えないと思うが、彼らは非常に苦しんでいる。
それこそ無知や無理解、偏見、心の病というアンタッチャブルな要素が彼らを苦しめている。
マイノリティだけが弱者だと思うのは単純に過ぎる、隠れた弱者、被害者はいるのだ。
わかりやすい人たちにだけ目を向けたり単語に反応するのは如何なものだろうか。





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by yuzuruha_neko | 2007-04-03 23:29 | 今日のニュース・雑考
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