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マイノリティの権利がマジョリティよりも後回しにされる理由(わけ)
マイノリティのための政治とマジョリティのための政治の続き。

UPした後に考えて気付いたが、「マイノリティ=社会規範から外れた人」と定義すると
究極のマイノリティは、殺人願望を抑えられなかった殺人犯なのではないか、と思ったのだ。
殺人まで行かなくても、犯罪を犯し、刑務所に服役しているような人たちもそうではないかと…。
社会規範とは、個々の所属する社会の仕組みや基本となる価値観によって大きく異なる。
したがって、現代の日本社会をモデルにすると、犯罪者がもっとも規範から外れた人たちだろう。
刑罰を受けて、身柄の自由を拘束されなければならないほど規範から外れているのである。
彼らにも人権はあり、自由を大きく制限されるとは言え、被害者からの報復は許されていない。
遺族が八つ裂きにしてやりたいような殺人犯でも生存の権利は保証されているのである。
死刑制度反対派は、彼らの生存権を頑なに守り、生存の自由を保証したい人たちなのだろう。
利権や倫理の話が絡むとまたややこしいので、ここではこの定義・表現にとどめておく。
彼らは社会の規範から大きく外れ、刑法に抵触する犯罪を犯したがゆえに権利を縮小される。
自由に外を出歩く権利、自由に好きなものを食べる権利、自由に職業を選ぶ権利…などなど。
刑務所では同居者も選べないし、部屋の間取りも選べない、仕事も食事も洋服も選べない。
なぜ自由意志による選択権が保証されないのかといえば、罪を犯したから、としか言えない。
小難しい理屈はいろいろあるのだろうが、犯罪さえ犯さなければ、そんなことにはならなかった。
彼らは社会規範の根本となる日本国憲法の刑法に触れたため、そんなことになった。
また、他者(被害者)の権利を侵害した代償として、己の権利を縮小されているとも言える。
殺されてしまった人、怪我をさせられた人、自分のものを壊されたり盗まれたりしてしまった人…
被害者の生存権や諸々の権利を不当に侵害したことが、そもそも罪に問われるのである。

幸いなことに、そのような犯罪者は、現代の日本社会においてマイノリティである。
例えば逮捕歴や補導歴が就職や進学に支障を来すように、そのような人は少数派なのである。
罪を償い更生した人を差別したり、色眼鏡で見てはいけない、とは言うが、正直やはり怖い。
それだけ犯罪に対するハードルが高い国(社会)で、犯罪の発生率が低いということだが、
自分の会社に元服役者が面接に来たときに、他の志願者を採用してしまう企業を責められない。
なぜ不当なハンデがあるのか、と言ったら、社会の規範を逸脱したから、としか言えない。
社会の規範を逸脱し、違法行為を働き実刑を受けた、そういう人はこの国では少数派であり、
社会の規範を守り法に抵触しないよう生きている多数の人々にとっては理解不能な存在である。
理解しがたいゆえに…そして「犯罪は悪いこと」という道徳観念も加算され、忌避されるのである。
差別はよくない、しかし、差別心は誰しも持っているため、致し方ないことだと言えよう。

現代の日本では、社会規範を大きく逸脱せず法を犯さず生きている人のほうが多いため、
そうではない人が多数派から忌避され、あるいは差別され、さまざまな権利が行使しにくい。
自由に自分が就きたい職業に就く権利であったり、自分が住みたい家に住む権利であったり。
そうした件で訴訟が起きたケースがあるのかどうか知らないが、人権屋は興味ないのだろうか。
法に抵触し、罪に問われないような小さな逸脱ならば、多数派の人々もしていることだろう。
例えばアニメオタクや各種オタク、エロゲ愛好家などは、嗜好のひとつとして認知されている。
だからといって自己紹介の際に「ボクはハルヒ萌えです」などと言う人はあまりいないだろうが。
無難に当たり障りなく、「読書と音楽鑑賞、ゲームが趣味です」などと言う人が多いだろう。
私も「インターネットで日記を書くためのソース探しに2ちゃんねるをよく見ます」とは言わない。
最近では普通に人前(公衆の場)でmixiの話をしている人もいるが、mixiの話も私はしない。
多少の逸脱は誰にでもあることなのかもしれない、いやそもそも逸脱しない人はいるのだろうか。
社会規範とは、大多数に通用する大まかな倫理観・道徳観念によって形成されているもので、
社会全体に画一的な価値観を強要したり、画一的な人格形成をする類の概念ではない。
したがって人の数だけ嗜好はあり、価値観はあり、まったく逸脱のない人間などいないだろう。
そもそも社会規範という概念自体が非常に大まかで実体のない曖昧な概念であるからして。

その大まかで曖昧な社会規範の中でも例えば殺人は絶対にいけないことだとされる。
麻薬を売ったり買ったり、拳銃を所持したり、他人のものを無断で借用してはいけないなど、
犯罪に類する行為は、生きて行く上で絶対に犯してはならないタブーだと教わるものである。
そのタブーを犯した者は、先に述べたようにさまざまな自由を制限されハンデが課せられる。
それもタブーを犯してはいけないことと同時に、犯した場合の罰として教わることである。

さてかように差別され、更生後も不当に権利の行使を制限される少数派の彼らだが、
多数派は彼らの権利の行使を無条件に認めていいものか、私はそうするべきではないと思う。
今は死語となりつつあるが、「後ろ指を差される」という言葉を死語にしたくはない、個人的に。
後ろめたいことをすれば後ろめたさで良心の呵責に苛まれる、それが普通であるべきだと思う。
後ろめたいことをしても「何も後ろめたさは感じなくてもいいんだ!」と思ってはいけないだろう。
後ろめたいことをした人が後ろ指を指されるのは当然である、善し悪しはともかく社会一般的に。
彼らの権利の行使が時に不当に制限されることも、社会通念上必要なのではないだろうか。
後ろめたいことを後ろめたいと思わない人が増えたら、治安は悪化し、社会は荒廃して行く。
したがって、「後ろ指を差される」という社会的制裁じみた概念をなくしてはいけないと思うのだ。
差別をしていいと言っているわけじゃない、後ろめたいことをしたら後ろめたいと思う心が必要だ、
と私は言いたいのだが、これはレイシズム(差別主義)の範疇に含まれる考え方だろうか。

さて極論として犯罪者の例を挙げたが、もう少し逸脱の範疇を広くしてみよう。
例えば同性愛者は異性愛者が多数を占める社会において、社会の規範から逸脱している。
性同一性障害も含め、彼ら(彼女ら)の多くは自分が逸脱した存在だということを認識している。
しかしパブリックな社会生活上、例えば会社で仕事をしたりする上でそれらは問題視されない。
不動産関係者に聞かないとよくわからないが、同性2人で部屋を借りることも問題ないだろう。
まさか「ボクたちは恋人同士ですが2人で暮らせる部屋を探しています」とは言わないだろうし、
言ったところで多分「他の居住者には内緒にしてくださいね」と言われるくらいではないか。
しかし婚姻は出来なくても結婚式は挙げたいね、という話になった時、結婚式場が頷くだろうか。
男性2人、もしくは女性2人のカップルの結婚式、招待客はゲイのお友達…断られそうな気が。
結婚式場で結婚式を挙げるのは通常男女のカップルであり、同性同士のカップルではない。
そこで「同性愛を理由に不当な差別を受けた」と結婚式場を訴えたら結婚式場が気の毒だ。
馴染みのゲイバーやゲイ仲間の行きつけのお店などで結婚披露宴をやればいいのに、
普通の結婚式場で披露宴をやりたいというのは結婚式場にとっては甚だ迷惑な話である。
「マイノリティを差別するな!」と言ってもなんでも差別差別と言えばいいというものではない。
普通の結婚式場は男女のカップルを想定しているのだから、男同士のカップルなど想定外だ。
想定外の出来事に困りお断り申し上げて「差別だ」と訴えられたら気の毒としか言いようがない。
同性愛は否定しないが、そういうことは通用する場所でやって欲しいものである。

また在日韓国人・在日朝鮮人の年金未納(でも寄越せ)訴訟の問題。
確かに彼らは日本におけるマイノリティと位置づけていいかもしれないが、お門違いである。
「いつか祖国に帰るから」と年金保険料を支払わないでいたのに老齢になって支給しろとは…。
国民年金は、年金保険料を支払った人だけが、規定の年齢になったら支給されるものである。
年金保険料も支払っていないのに支給しろと言い、差別と戦ってきたのだから、と言われても
マイノリティゆえの差別がもしあったとしても、年金保険料未納の言い訳にはならない。
年金保険料を支払わなくても年金が貰えるという判決が出たら、払っている人が馬鹿みたいだ。
仮に在日外国人でなく、貧困ゆえに保険料を支払えなかった人がいてもその要求は通るのか。
少数派のエゴを許したら、多数派が今度は納得しない、だから敗訴するのは当然だ。
在日韓国(朝鮮)人は自らの意思で日本にやってきて住み着き、また帰化しなかった。
自らマイノリティの立場を選んで貫いておきながら、マイノリティゆえに不当な差別を受けてきた、
したがって免税や年金など優遇されて然るべきだと声高に主張するから反感を買うのである。
日本に住む上で日本のルールを守る気がないのなら、私でも「帰れ」と言いたい。

要するに、社会の規範に背く嗜好や行動は、規範に準じている人たちの不利益に繋がる。
「より多数の人々が幸せに暮らせる社会」では、「最大公約数的なシステム」が社会を動かし、
最大公約数からはみ出してしまった人々の幸福の保証は後回しにされてしまうのである。
また、社会の規範からはみ出していない人が不当な不利益を被っていないというわけでもない。
誰しも生きて行く上で理不尽な差別や不利益はあるが、それを自分の属性のせいにはしない。
なぜならば多数派であり、国籍や人種、性的嗜好など、差別されるだけの条件がないからだ。
ある意味、そういった何らかの条件を持ち、それのせいにしてしまえる人は羨ましいと思う。
失業したところで、何社も面接を受けて落ちたところで、自分の力量不足にしか帰結しないしよ。
少しサイレント魔女★リティのボヤキが入ってしまったが、少数派ってそんなに悪いことだらけ?
理解されなかったり偏見の目で見られたりする苦労はあると思うけれど、今の自分が好きなら
多少の無理解や偏見を差し引いても人生は結構楽しめるんじゃないかと思うのだが、如何?
まぁ、大体「差別差別」言う人は誇りがないか今の自分が嫌いなんじゃないかと思うけれど。

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by yuzuruha_neko | 2007-04-02 23:37 | 今日のニュース・雑考
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