運動継続自体が目的となった運動に明日はない
昨夜はのーぱん画像なんて上げてしまってすみませんでした。
ほんの気の迷いです、ぱんつぱんつ騒いでいるから「はいてなけりゃいいだろがぁー!」と。
はてなちゃんパンツ事変が大騒ぎになったのははてなちゃんが萌えキャラだからですよね。
萌えない絵でのーぱん描いてもあんまり意味がないことに気付いて鬱。

のーぱんのあとにアレですが今日はちょっと真面目な話を…。
最近いろいろ悩み多くて話題があっちゃこっちゃ飛んですみません。


差別というものからさらに続く話ですが…。

どんな政治活動も思想活動も(宗教活動も?)敵がいなくては行き詰まってしまう。
運動を継続させるためには敵を想定して必要以上に巨悪化して攻撃し続けなければならない。

そもそも何かの目的を持って運動を起こす場合、目的が達成されれば運動は終わります。
しかし運動にのめりこむうちに、感情の高ぶりからか活動仲間同士の連帯意識からか、
当初の「目的を達成する」ことではなく、運動そのものが目的に摩り替わってしまう場合がある。
「運動を継続すること」がまさに運動の目的になるのです。
白燐弾騒動のときに、「白燐弾がそんなに危なくない兵器だとわかったならいいじゃないか、
なぜ白燐弾の凶悪性に固執するのか?」といった主旨の書き込みが2ちゃんねるにありました。
劣化ウラン弾もそうですね、反戦平和運動のスケープゴートと言いましょうか。
本当にそれがどんな兵器で、どんな使われ方をしているのか、どんな殺傷効果があるのか、
そういったことはハナから俎上に上げずにただただ「怖いんだよ、ダメなんだよ」というばかり。
なぜそんな怖い兵器が必要なのかと言えば、「武器商人が儲かるから」とかそんな回答ばっか。
実際に武器を扱う企業が戦争で大儲けしているというデータを私は提示されたことがない。
「戦争が起きるかもしれない?」くらいが一番兵器製造工業は利潤がいいのではないかしら。

私だって自分が戦闘に巻き込まれるなんて怖いし絶対にそんなの嫌だ。
しかしそもそも民間人は戦闘に参加できないし、民間人が戦闘に巻き込まれる状態って、
負け戦の末期もいいとこ、という状況下でなきゃありえないんじゃないでしょうか?
第二次世界大戦末期、日本中で焼夷弾がばら撒かれていた時みたいにさぁ。

戦争と戦闘行為をごっちゃにしているから自称反戦平和主義者の言い分は変なんだと思う。
戦争は外交の一手段であり、対話による外交が決裂して他に取る手段がない時の最後の手段。
戦闘行為は文字通り戦闘行為、私でも知っている例を挙げれば爆撃とか白兵戦とかですかね。
しかし戦闘用の兵器を使わないだけで、ヤクザの抗争なんて戦闘行為とどう違うのだろう。
戦闘行為は程度はどうあれ殺傷が行われるわけですから、普段から私は忌み嫌っています。
しかし外交上、どうしても開戦に踏み切らなければいけない時、それに異を唱えられるかな。
もちろん他国との対立や緊張関係を対話による外交で解決できればそれに越したことはないが。
そこで引いてしまえば日本の国益を著しく損なうという場合ならば、私は開戦を支持するだろう。
平和も今の安全な暮らしも日本という国家あっての恩恵である。
日本という国家が脅かされ安寧が崩されれば平和だのナンだの言っている場合ではなくなる。
よって私は時と場合によっては自衛のための武力行使はやむを得ない選択だと思っている。
その際、軍部が無能で本土決戦なんて悪夢を繰り返さないために、自衛隊の強化には大賛成。
ま、今でも日本の自衛隊は優秀だと言いますが、何分60年以上戦争をしていないですからね。
すべての兵器が磨かれながら使われずに錆びて廃棄されることを願うと同様に、
自衛官も国を、民を守るための訓練を積みながら、戦闘の場に出ることがないよう祈りたい。

なんだか話が逸れちゃいましたが戦争=悪という刷り込みは変であると言いたい。
戦闘行為は忌むべきものだが、戦争は外交の一手段であり善悪を問う性質のものではない。
そのために流された血を悼む心は殺人狂でもない限り、人間であれば当然持っている。
戦禍を嘆くことと、戦争という手段の善悪論は全然別物だということ。
「怖いんだよ、ダメなんだよ」と言っていれば世界は平和になるのか、紛争は解決するのか。
ひとりひとりが願うことから…と言ったって、願うだけで病気は治るか、治らないだろう。

反戦平和運動家たちは戦争の悲惨さを訴えるために血まみれの子供のスクープ写真を撮る。
広島・長崎で被爆した人々の後遺症を語り、いかに核爆弾が恐ろしい兵器であるか訴える。
イラクでは劣化ウラン弾によって兵士が被爆し、奇形児が生まれていると未確認情報を流す。
どれも戦争という“巨悪”を攻撃するための材料でしかなく、実際に解決に繋がる道ではない。
解決されたら困るだろう、反米思想に凝り固まった人々にとって、今のイラクは錦の御旗だから。
憲法九条が改正されたら徴兵制が敷かれ日本がかつてのように軍国主義になる、と言う人は
実際に憲法九条が改正されても日本が平和なままだったら困ってしまうから躍起になる。
つまりイラクが平和になってしまったら反米できないし、改憲=戦争ではないと認識されたら
憲法改正反対運動に説得力がなくなってしまうから必死で軍靴の足音が聞こえると言うのだ。
巨悪の仮想敵を必要とする、運動のための運動、そんな運動に何の意味があるのか。
運動を永らえさせるための運動、そんなもののために、実際に戦場で血を流す者を利用するな。

運動自体が目的化した運動家たちの末路は70年代の過激派だろうか。
山荘に立てこもり仲間を次々とリンチにかけて殺して行った馬鹿馬鹿しくも狂った学生たち。
現在も生き残っている中核派などは市民団体に潜入して国家転覆の革命を夢見ているようだ。
今や笑いのネタの九条写経に彼らの影を見てしまうのは私の幻覚だろうか、そうであって欲しい。
その行動のカルトっぷりはテロ集団オウム真理教にも重なって見えて怖い。

「戦争反対、世界に平和を」という運動は達成し得ない目的だから厄介だなぁ。
戦争と紛争は人類が存在する限り、決してこの世からなくならないものだから。
「国境のない世界を」というのは世界一国独裁体制のことなんだろうか。
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by yuzuruha_neko | 2006-12-03 23:53 | 今日のニュース・雑考
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