不幸な人が1人もいない世界なんて存在しない
最近ブログ(ネット)界隈ではいじめネタ+自殺ネタが花盛りです。
いくらいじめや自殺について熱く語ったところで何の解決にもならんのに
要するにみんなこういう社会学+哲学っぽい話(ネタ)が好きなんだなぁ。
暗い話をする奴がインテリっぽく思われているが違う!と麻生タン風に言ってみるが
私はしょせんこの手合いの話について語る経験も言葉も持たないだけです。
死ぬよりも、どうして理不尽な仕打ちに対して毅然と立ち向かえなかったのか?
そんな風に思う人間には、「いじめ」を語る資格はないのです。

いじめられて自殺した、もしくは現在進行形でいじめられている人には申し訳ない。
が、どこの世界にも強い個体と弱い個体がいて、弱い個体は自然淘汰される宿命にある。
いじめ自体は無論よくないことだし、私自身いじめをしたことも(多分)されたこともないが、
自然淘汰の波に抗えなかった個体が惨めな末路を辿ることは自然の摂理である。
弱肉強食がこの世の理である以上、食われたくなければ必死で生きる術を模索するしかない。
自然界において肉食動物の被捕食動物(餌)とされる草食動物も、
時に捕食者として襲ってきた肉食動物を傷つけ追い払うほどの武器を持っていたりする。
鋭い牙や爪を持たない草食動物とてただ無抵抗に食われるだけの無力な生き物ではないのだ。
しかしやはり生態系はより強い生物が頂点に君臨することで成り立っている。
人間が生態系の頂点に君臨している現状に違和感を抱くのは私の勝手な物思いだが。
食われたくなければ食え、殺されたくなければ殺せ、それが子孫を残すために生きる道だ。
私は自分の遺伝子を後世に残す気はないが、生命体の本能として生きる道を選ぶ。
私が生きることによって誰かが死ぬとしても、私は天寿を全うするまで必死に生きねばならない。
別に生きることに目標も何もない、生存本能が生きろと告げるのだ。
そのために他人を押しのけることになろうとも、見事押しのけて生きてやりましょう。

何が言いたいのかと言うと、この世は不平等だということです。
客観、主観の相違はさておき、幸せな人もいれば、当然不幸せな人もいる。
この世の人すべてが幸せでいられることなど、はなから有り得ない話なのです。
なぜかと言えば、強い個体が弱い個体を淘汰するように世界は出来ているからです。
幸せになりたければ、淘汰されたくなければ淘汰する側に回るしかありません。
私が今生きているということ自体が、何かを淘汰した結果なのです。

いじめの話から「不幸な人をいかにして救うか」という話まで行くとな。
不幸な人がいない世界なんてありえねーんだよ!とつい憤慨してしまう。
いじめ地獄から脱したければいじめっ子をぶん殴って鼻の骨をへし折れ!
その気概がない奴は、永遠に弱い個体のまま生きて行くしかないさ。
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by yuzuruha_neko | 2006-11-16 02:28 | 今日のニュース・雑考
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