人殺しは「悪いこと」だが理由はない
「人を殺していい理由」は人の数だけあると思うし、実際に様々な理由で殺人は起きる。
でも、「人を殺してはいけない理由」は、万人に納得が行く明瞭な理由はないんじゃないかと思う。
「人を殺してはいけない理由」を得々と説く人が目の前にいたら、多分私は胡散臭く感じるだろう。
ただ、私は「人を殺してはいけない」と思うので、殺人犯はやっぱり悪い人だと思うのだ。
論理的で筋の通った理由もなく人様を「悪い人」と言ってはいけないような気もするのだが。
「悪い人」の意味は「その人の人となりが悪い」という意味ではなく「殺人したから悪い人」である。
その人が殺人さえしなければ、「殺人犯は悪い人」という意味で「悪い人」とは言わない。

人を殺してはいけない理由を述べてはいけない理由は広く知れ渡っていると思うので割愛する。
悲しむ人がいるから、自分も殺されるから、等の理由に基き人を殺してはいけないのであれば、
その理由に該当しない人(身寄りのない人とか)の場合、殺してもよいという理屈になってしまうし
殺人したい人が自殺志願者である場合、この理由は殺人防止として無意味になってしまうから、
という説は、人を殺してはいけない理由を述べてはいけない理由として妥当だと思うし支持する。

しかし、根本的に「人を殺してはいけない理由」はやっぱり「ない」としか思えない。
種の存続や利己的遺伝子は情動に訴える理由として適切じゃない気がするしなぁ。

例えば私はご先祖様には大変申し訳ないことだが自分の遺伝子を後世に残したくないので、
遺伝子学的な見地から殺人の是非を説かれてもあんまりどころかまったくピンと来ない。
人類の滅亡は避けられぬものと心得ているが、とりあえず私が死んだ後のほうがいいので
近い未来に第三次世界大戦が勃発して、結果人類滅亡なんてことになったら大変困るのだが、
人ひとり殺してはいけない理由としては論理が飛躍しすぎるし、如何せん現実味がなさすぎる。
種の存続もまた「人を殺してはいけない理由」として掲げるには説得力に欠けるだろう。

私自身が人を殺したくない理由は…リスクが大きいことと、単純に殺人行為が怖いからだと思う。

幼い頃、魔が差して誰もいない境内でトンボの羽をむしったとき、ドキドキした。
もう飛べないトンボ、餌を取ることも出来ないし、他の生き物に食べられてしまうかもしれない。
そのトンボの憐れな末路を想像した時、私は大変いけないことをしたという罪悪感に襲われた。
トンボの命を悪戯に弄び、結果として私がそのトンボの命を奪うことになったのだ。
自分で羽をちぎったトンボを水場にそっと置き、逃げるようにその場を去った(記憶が曖昧だが)。
紛れもなく私はトンボを殺した(最期を見届けていないが)「悪い人」になったのだ。

「他者の命を奪うこと=悪いこと」と誰に教わったわけでもなく子供の私は感覚的に知っていた。
毎日三度必ず食卓に出る食事(肉も野菜も)もまた他の生命の犠牲の証だと知っていたが、
「それはそれで食べるものだし」と割り切っていたのであまり悩まなかったがそれもまた変な話。
今でもそうだが、他者の命を奪うことに関してダブルスタンダードなわけだから。
人を殺してはいけない、動物を虐待してはいけない、草花を大切に、でも食事なら何も問題ない。
見事なダブルスタンダードだが、この件に関してはダブスタじゃないといろいろと生きにくい。
むしろダブスタじゃない人は奇特な目で見られる確率が高く、世間的には歓迎されにくいだろう。
ただ、そういう人でも他人の食生活に自分の価値観を押し付けなければ別段問題は起きない。
そういう人が批判の的になりやすいのは他者のダブスタに説教しやすいからではないだろうか。
そうすると「菜食主義者は植物の命を奪っているじゃないか!」とダブスタ糾弾合戦になる。
食事に関しては他者の命を奪う行為であっても「それはそれ」と目を瞑ったほうが無難である。
そもそもどんな生き物も他者の犠牲の上に生命を維持しているわけだから、これは仕方ない。

人に限らず他者の命を奪って糾弾されるケースは、必要不可欠な殺人ではない場合だろう。
例えば犬猫などのペットを飼う際、入門書には安楽死に立ち会う可能性と覚悟が記されている。
重病で助かる見込みがない場合、苦しみを長引かせないために薬殺するケースがありうるのだ。
飼い主にとっては想像を絶する苦渋の選択であるが、これを非難する人はあまり見かけない。
人と違ってペットの場合は安楽死に関してある程度のコンセンサスが得られているのだろうか。
人間の尊厳死問題や脳死問題は道徳的観点も絡んでなかなか方向性が定まりにくいようだ。
患者の家族にとっては必要不可欠な殺人であっても、第三者からは必要不可欠と断定しにくい。
植物人間状態で本人の意思がわからない場合、尚更その判断が適切かどうか意見が割れる。
意見が割れる根本には、やはり「人を殺すのはいけないことだ」という前提条件があるから。
どのような状況であれ人を殺すのは悪いことである、というコンセンサスは鉄壁の如く堅い。
しかし、そのわりに「人を殺してはいけない理由」はスパッと明瞭な回答が出てこないように思う。
宗教的見地に基く理由は万人の共感や納得を得難いし、条件付理由がダメなのは前述の通り。
やっぱり「人を殺してはいけない理由」なんて本当はないんじゃないか?

世の中の大多数の人が殺人を犯さない理由は、「殺人は悪いことだ」という道徳観念があり、
そして殺人で捕まることによって重い刑罰や社会的制裁を受けることを知っているからだと思う。
逃げおおせられるとタカを括る人が多くないのは、警察がちゃんと機能しているからだろう。
警察が優秀ではない、また機能していない状態の国が危ない理由は、やり逃げが簡単だから。
犯罪を犯しても捕まらないような土地では道徳観念が自然と緩くなっても不思議じゃないし。
何だかんだ不祥事を起こしつつも日本の警察は優秀なので、犯罪行為へのハードルも高くなる。
恐喝や窃盗より殺人のほうが罪が重いことは小学生でも知っている。
「人を殺してはいけない理由」はやはり「それ相応の罰を受けるから」が適切なような気がする。
嘘でも子供には「一生刑務所で暮らすことになるよ」くらい言ってもいいんじゃないだろうか。
その際は刑務所生活や服役囚にうんとネガティブなイメージを持たせるようにして。
前科者への差別を助長するかもしれないが、「ムショに入ったって刑期を終えたら関係ないね」
という犯罪に対して罪悪感がない、道徳観念に欠ける人間に育つよりはマシではないだろうか。

「人を殺してはいけない理由」なんて、もっともらしく語ろうが結局感情論なんだろうな。
同様に「死刑も殺人なのだから死刑制度に反対」という死刑廃止論も感情論にしか聞こえない。
推進派が「遺族の身になれば…」と言ったところで、遺族の苦しみが死刑で晴れるわけもないし。
ただ、「人を殺してもたいした罪に問われない」なんてコンセンサスが形成されたら困るので
殺人犯にはそれ相応の罰を与えることが社会の秩序と平穏を維持するには効果的だと思う。
そういう意味で、死刑制度は存続させてもいいと思うし、無期懲役ではなく終身刑が欲しい。
結局社会倫理の問題になっちゃうのか、「人を殺してはいけない」というコンセンサスの形成は。
戦闘による死傷についても、戦時下という非常時態勢がコンセンサスを形成するのだろう。

人殺しの是非に関して御託を並べるわりには結論が出せない馬鹿な大人のひとりである私。
こんな馬鹿な大人にはなりたくなかったが、大人になるということは馬鹿を自覚するということだ。
自分が全能の神であると勘違いしたイタイ大人よりはナンボかマシだと思うが…大差ないかも。
大人になると言い訳や誤魔化しが上手くなります、が、それが通用しない場面にも出くわします。
そういう時にどういう姿勢を示すのかでその人の評価が決まっちゃう部分も大きいんだろうな。
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by yuzuruha_neko | 2006-06-22 21:16 | 今日のニュース・雑考
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