誰かにとっての私の価値
あまりそういうことを考えたことはない、そういえば。
世の中に絶対唯一の価値はなく、すべてが相対的な価値観によって成り立つ。
だから私の価値も他者の目に触れて交わることによって初めて意味を持つはずだ。
しかしながら誰かにとっての私の価値を考える機会があまりないことに気付いた。
無論、「私の価値は私が一番よく知っている!」…という独善主義的な発想ではなく。
私は自分で自覚している以上に人間関係に無頓着なのかもしれない。
人間関係って気遣いが大変で疲れるよなーホントにメンドイなーと内心思いながら、
実はかなり気ままに好き勝手やっているので考える機会が少ないのかもしれない。
この仕事は電話1本に一期一会の精神で臨まなければならない。
もともとの刹那主義にさらに拍車をかけるような仕事を選んだお陰だろうか。
私は「誰かにとっての私の価値」について(今は)あまり思い悩むことがないみたいだ。
これは幸せなのか、投げやりなのか、よくわからない。
自分の価値を他人に認めさせようとする行為に徒労を感じたのだろうか。
ただ、本当に他人の目がどうでもよくなったら世界は終わるんじゃないかなと思う。
私の世界は、私とその外の世界との関わり合いの中にあるから。

私、私、を連発して、十代の少女じゃあるまいし…あーあ。
自分、のほうが文章としては好きですが、体育会系みたいになりそうで。
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by yuzuruha_neko | 2006-05-19 01:00 | 今日のニュース・雑考
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