平和のためなら…の罠
平和、人権、人に優しく…ああ、なんだか昔読んでいた赤旗を思い出す。
昨今、平和について否が応でも考えざるを得なくなった人が多いのではないだろうか。
湾岸戦争(記憶がおぼろげですが)、イラク戦争などが多くの契機ではないか。
また憲法改正の動きも、軍隊アレルギーの日本国民にとっては過敏に考えてしまうことだろう。
その一方で、護憲派、カルト宗教9条教(私はそう呼ぶ)が先鋭化しつつある。
山ほどある9条を守る会とかその手合いって、メンバーが重複しているんじゃないだろうか?
本当に国民の大多数が護憲第一を目標に掲げるなら自民党は圧勝したりしない。
自民党の打ち出す改革案に期待する声は少なくない、それが選挙の結果だろう。

私はミクシィで「戦争反対!」というコミュニティに所属しており、真面目に戦争反対の立場だ。
なのに時折り戦争賛美・米国盲従のネット右翼扱いされて、あな悔しや…ギギギ。
嫌米保守を自認している私としては、そう言われるたびに釈明をしなければならない。
釈明をしても、言い放った当人は得てして聞いていないか黙殺するのだが。
今、戦争反対!コミュでは「戦争は絶対よくないという考えは甘いか?」というトピが立ち、
現実派に席巻された該当コミュで、気の毒にもトピ主は矢のような質問を浴びせられているが、
私も戦争は絶対よくないと思う、そこにはまるっと同意する。
ただし、戦争はよくないけれど、それでも人類の歴史はイコール戦争の歴史であり、
いまだかつて戦争が途絶えたことがない現状を鑑みればその事実は受け入れざるを得ない。
つまり「戦争は絶対よくないです」だけ言っていても何も変わらない、無意味ということ。
戦争はよくないから回避するべく最大限の努力をするべきだ、くらいならよかったのかも。
いきなり核ミサイルをぶち込まれたら否応なく応戦するしかないのだが、
そうなる前に核ミサイルを放棄させるとか、そういう回避のための努力はするべきだ。
北朝鮮に関しては、日米結託しての経済制裁も回避の手段としてアリだと思う。

平和という言葉には甘美な媚薬のようなエッセンスが混入されているのだろうか。
平和という言葉を唱える人には悪い人はいるまい、と思ってしまう人もいるのだろう。
しかし平和とはどういう状態を指すのか、その具体像が抜け落ちている場合がほとんどだが。
みんなが仲良く平和に暮らせますように…と言っても「みんな」の範疇はどこまでなのか。
例えばパレスチナ人とイスラエル人が仲良く暮らす社会を実現させるためには骨が折れそうだ。
「仲良く」という言葉も曖昧で、とりあえず武力衝突しなければ仲が良い事になるのか。
学校の仲良しグループや会社の同僚レベルで世界平和を語るには無理がある。
あえて言うなら、仲良しグループが苦手で同僚と仕事以外の付き合いをしない私だが、
それで別段波風が立たず過不足ないのだから、そういう平和もアリということだ。

最近先鋭化しつつあるカルト宗教9条教の信者たちの金科玉条は「平和」だ。
平和のためならエンヤコラサッサ、と日々布教とアジテーションに励んでいる。
なのになぜ国民の、大衆の熱い支持を得られないのか――。
いくら当人たちが「支持を得ている!」と言っても、選挙の結果は無残にも現実を反映している。
選挙で大敗するという事は、その主張は支持が得られなかったということだ、残念ながら。

ひとつは「闘争」「闘い続ける」という言葉を好む傾向が強いせいなんじゃないかと思う。
「平和のために」の後に「闘争を継続します!」と言われたら、普通の人は違和感を覚える。
その「普通の人の違和感」を察せられないあたり、世間の感覚とのズレがかなり深刻だ。
さらに、「平和のためなら何をしてもよい」という順法精神の欠落も、実は大きいのではないか。
戦争反対!コミュではないが、ミクシィでチェーンメールの送信を依頼するトピが立った。
このトピックを立てた人は、常日頃戦争反対を訴えながら、順法精神に欠けているのである。
さらに言えばアナーキストを自称し、いかなる中立性も無視すると言い切った。
この手合いの人たちにとって、すべての悪の根源は国家・体制にあるものなので、
その国家の作った法律なんぞ守る必要はないのだろう。

平和という崇高な目的のためならどのような行為も正当化される、わけがないのである。
法律いうとやたら堅苦しく思えるかもしれないが、どんな世の中にも決められたルールがあり、
各々が自分の所属する社会のルールを守ることで、その社会の治安・規範は成り立っている。
ルール違反をしたら罰せられるのは、ルール違反=社会の治安や規範を乱す行為、だからだ。
身近な社会の治安や規範を乱しておいて、戦争反対なんて言っても説得力がないのである。

世の中には無用なルールや悪法なるものも確かに存在するだろう。
自分にとって都合が悪いルールは当然個々人である。
もしルールが気に食わないなら、またそれが悪法であると思うなら、
正当な手続きに則ってそのルールを改正するべきである。
身近な政治家に訴えるもよし、社会問題として提起するもよし。
ただし、あくまで現状のルールに違反しないように活動すること。

ルール違反を悪いとも思わないような人間が戦争反対や平和を訴えても説得力がないのだ。
便所のラクガキ事件、自衛隊官舎不法侵入事件、どちらも被告支持者はプチ逮捕などと言って
世の中のルールを守らなかったことを反省しないどころかその行為を正当化しているのである。
世界平和や反戦のための訴えだから逮捕された!という被害者意識を炸裂させているが、
「戦争賛成」というラクガキや「イラク戦争賛成」のビラだって同じことをすれば当然捕まるよ。
「じゃあ他にどういう方法で訴えればよかったんだ!」という意見を聞くにつけ、
こいつら真性のバカだ…と思わざるを得ない。
ちょっと頭を使えば、他にいくらでも合法的で、もっと効率的な方法が見つかるだろう。
ハナっから頭を使って世間に訴えることを放棄しているとしか思えない。
もう目的のための手段じゃなくて、手段に夢中になっているとしか思えませんね。
反戦平和を訴えて行動している自分が気持ちいいの、自己陶酔しちゃっているの。
その行動が社会のルール違反であっても、戦争反対のためならそんなこと瑣末な問題なの。
社会のルールを守れない人が戦争反対を訴えるというシュールさに気付かないのね。
そういうところが世間の人にも臭うから(アンタらが思うほど世間の人はバカじゃない)
胡散臭い団体、怪しい団体だと嗅ぎ付けられて敬遠されてしまう理由なんだと思う。
支持を得られない理由(責任)を他者に転嫁するのも彼らの悪い癖。
自分たちの方法に問題があると思わず理解してくれない世間が悪いと考える。
世間が悪い→その世間を形成している体制・国家が悪いから、だから体制批判に明け暮れる。
えー、マガジン9条の会で「軍隊は国民ではなく国家を守るものです」とか言っていますが
国家と国民はイコールですから!国民のいない国家なんてありえませんから!

平和はいいのですが、身近なルールも守れないような人に平和を語って欲しくないですね。
世界の平和よりもまず先に自分がいる社会の平和を乱さないようにお願いします。
目的のためならどんな手段も正当化されるという勘違いもホドホドに。
平和と冠すれば「間違った主張じゃないし…」と世間の目も甘くなりがちだから困ったものだ。
まず闘争とか言っている団体は中核派に乗っ取られている可能性がありますので気をつけて。

中核派について、フト過去のこんなエントリーを思い出した。

 ○「政治的プラトニズム」は、政治的に絶対正義を要求する考え方
  その2大支柱となるものは、
 ○他者のためになる事こそ良い事だという「絶対他者主義」
 ○いちばん弱い人間の立場に立つべきだという「絶対弱者主義」

 ○ひとつ間違えると正義のためにはどんな事も許されるというところまで行く可能性があって、
  ひとつの例が連合赤軍事件です。
  スターリニズムやファシズムにも基本的には絶対正義主義がある。
  オウムもまた同じ形です。


本当に今さらだが、今さらながらこの主張が理解できる感じ…。
正義のためならどんなことでも(殺人でも)許される、まさに中核派じゃないか!
カルト宗教9条教信者や自称・反戦平和主義者にもぴったり合致しますね。
中核派と後者の連中が仲いいのも頷ける(頷いていていいのか)。

純真な目で「平和」とか言う奴はまず疑ってかかれ。
平和とは状態であり、維持するものです。
それが分かっていない奴はカルトの可能性がある。


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by yuzuruha_neko | 2006-02-17 00:23 | 今日のニュース・雑考
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