善人になるための理屈/「人間らしさ」とは?
昨日のミク日記より転載。

--------------------------


誰か悪い奴がいればいい。
そいつは強くて権力があればあるほどいい。
全部そいつが悪いということにすればいいのだから。
常に弱者の側に自分を置いておけば楽だろう。
悪いのはみんな強い奴。
自分は全然悪くありませーん。


以上、本家より転載。

自称「弱者」「被害者」の理屈は反吐が出る。
命あるもの、他者の犠牲なしには成り立たない。
自分だけが可哀想な犠牲者、という子供っぽい発想も
不幸な自分に酔う様も見ていて気持ちが悪いね。
そんな生温い生き方、私にはできそうもない。

踏み台にされた分だけ、
自分も誰かを踏み台にしている。


--------------------------


本家の一部をミク日記に転載して、さらにそのミク日記を本家へ転載…。
目まぐるしいと言うか、くどい転載の波。
それだけ私にとって強く主張したいことなのだろう。


自分は全然悪くないの!被害者なの!弱者なの!
いつも権力の犠牲になっている善良な一般市民だもん!


お前(ら)がどれだけ善良なんだよ。
「弱い」ことを盾に言いたい放題の身分で。

みんな誰かの犠牲の上に生きているんだよ。
育ててくれたおとーちゃんやおかーちゃんの時間を犠牲にしただろう?
街や学校や道路も税金を納めた人の犠牲の上に成り立っているんだよ。
大体他の生き物を犠牲にしてメシ食っているじゃねーか。
学校や会社で誰にも迷惑をかけずにやっているか?
お前の尻拭いを誰かがしているんだよ、バーカ。
お前の捨てたゴミや排泄物は勝手に浄化されるのか?
お前の着ている服は誰が原料を取って誰が縫っているんだよ。
地球に優しくしたいなら、原始生活に戻れ!

いけしゃあしゃあなのか、無知なのか、
どっちにしろ胸糞悪い奇麗事を抜かすな。
いかなる法治国家であろうとも、弱肉強食の理に従って人は生きている。
共産主義が幻想だった事実はすでに知られて久しい。

悪しき平等・公平主義の蔓延は偽善の温床となった。
誰も彼もが「人に優しく」「善人面」、気持ち悪い。
自分が誰かを踏み台にしているなんてサラサラ考えない。
生き物としての強靭さを否定する社会。


「せめて、人間らしく」
この言葉の意味をいまだ私は量りかねている。
病気や貧困、差別、虐待などにより、「人間らしく」生きられない人々も確かにいる。
しかし、犯罪者に対して甘すぎる社会で人権をちらつかされても
悲しいかな、信用することはできないのだ。

何かが違う気がする。
その違和感が自分でも上手く言葉に言い表せない。
我ながらもどかしく、しかし書かずにはいられない。
左側の脳がバカなのかなー。
[PR]
by yuzuruha_neko | 2005-10-13 22:37 | 今日のニュース・雑考
<< まだ理屈に到達しない プラセンタの効果は凄い!…でも... >>