越南戦争のトラウマ/今一度、絶対弱者主義に警鐘を
掲示板のレスがあまりに長くなったので、こちらにコピペっておきます。
なお、エントリー向けに若干の手直しを加え、半角部分は全角に直しました。
元記事は、ワンス・アンド・フォーエバー。

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用語の学術的な意味はさておき(あまり詳しくないので)、フラッシュバックを芸術作品に昇華させているとしたら、それは喜ばしい事なのか惨い事なのか。
越南(ベトナム)戦争時、従軍記者が残した多くの写真からは確かに規制も何もない様子が伺えます。米軍兵士によるベトコンの拷問や処刑に類する写真などは、こんにちの報道規制では日の目を見ることは叶わない貴重な映像記録でしょう。米軍の残虐行為・非人道的行為ばかりが兎角クローズアップされがちですが、米軍に加勢した韓国軍は、越南人から米軍よりも恐れられていたという話を聞きます。またホーチミン率いるベトコンの戦略は、密林で戦う米軍兵士達に忘れられない恐怖を植え付け、多くの兵士を麻薬に走らせ退役後も悪夢のフラッシュバックとなり彼らの精神を苛みました。
サイゴン陥落による米軍の敗北は、北越の勝利であると共に南越の敗北でもありました。南越の人々が果たしてホーチミン率いる北越の勝利を喜べたのか? 単純に「(搾取される側であった小国)越南が、(搾取する側であった大国)米国に勝利した」とは思えない部分もあります。
米国が泥沼の越南戦争にずるずると嵌り込み、国内はおろか世界中からも非難されつつ引き際を逃した理由は、よく言われる「第二次大戦によって得た勝利で日本を属国化することに成功したため」でも「反共理念に基き、共産化のドミノ理論を食い止めるため」でもなく、ひとえに負け戦への終止符の打ち方がわからなかったからではないか、と浅薄ながら私は思います。負け戦の経験が無いゆえに、負け方を知らなかった、と。
今も多分、米国は負け方を知らない、と言うか考えていないのではないかと思えるのです。ハリウッド映画などを見ていると、「米国の正義はどんな危機にも打ち勝つ」という強い理念を感じます。「米国が負ける」という事は、米国人にとって有り得ないのだと…。
私達日本人が米国という国・米国人という人々を見る時、その理念によって一種のバイアスが生まれ、移民国家とも言える複雑かつ多様な米国の本質を見誤りやすい傾向が多分に見受けられます。不肖かく言う自分もそういった日本人の一人です。反米派・親米派も含め、私達日本人が米国について考える時、そういったバイアスがある事を常に念頭に置くように努力したほうがいいのではないでしょうか。

イラクで何が起きているのか、それは現在イラクにいる人でなければわかりません。「米軍によってイラクの民が虐げられている」と主張する人々もいますが、今米軍に引き上げられて実際に困るのはイラクの人々なわけで。過激派のテロ行為によって一番被害を被っているのはイラクの人々ですが、テロリストがなぜ今イラクでテロを行うのか、米軍が駐留しているという事が、どんな意味をもたらすのか…。過去ログを読んで頂ければわかるかと思いますが、私は「そもそも米国はイラクに深入りするべきではなかった」と考えている人間ですので、安易にイラク撤退も叫べなければ、今のイラクの状態を是とも言えないのです。
本来私は国際社会を判じる才覚など持ち合わせておりません。このように、何かを語る資格はないのではないかと思います。ただ、安直な義侠心(正義)で物を語るなかれ、と自分自身の肝に命じております。

越南戦争の敗北は、「負けない」米国にとっていまだ受け入れ難い、現実の、現在進行形の悪夢なのではないか、だから越南戦争を題材にした映画で、記憶を巻き返すように、フィルムカットの中に米国の良心を探そうとしているのではないか、そんな気がします。
翻って日本は敗北をあっさり受け入れてしまった事によって、第二次大戦の敗戦を、完全に「過去の遺物」として、現在への連鎖の道筋から寸断してしまっているのではないか、それはそれでダメだろ…と思うのですが…。

No.141 2005年10月11日 (火) 00時08分


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ベトナム戦争なんて私が生まれる前の話。
机上の知識など、何の役にも立たないかもしれないが、無知は罪だ。
そういった意味で、私は罪人である。

しかし「アメリカはイラクで同じ轍を踏もうとしている」という見解には懐疑的です。
前提や状況が全然違うじゃないですか…。
それにベトコンと過激派テロ組織を同一視していいものか?
私はベトコンを賛美しないが、暴力行為そのものを目的とするテロ組織とは明らかに違うでしょ。
いや、ベトコンもそういう組織だったという指摘があるなら考え直す余地もあるけれど。


誰か悪い奴がいればいい。
そいつは強くて権力があればあるほどいい。
全部そいつが悪いということにすればいいのだから。
常に弱者の側に自分を置いておけば楽だろう。
悪いのはみんな強い奴。
自分は全然悪くありませーん。

しかし私は自分を弱者の側に置けない。
絶対弱者主義にも同意できない。
弱者のために強者を狩る事が許されるならば、それは弱者による社会支配であり、彼らは弱者を標榜する社会的強者・支配者になるということだ。
この文章で弱者を「被害者」、強者を「加害者」と置き換えてもよいだろう。


パキスタンの地震を受けて、簡単にパキスタンの事を調べてみた。
印パ戦争って「第○次」と冠されるほど長いのかい…。
いろいろ、戦争や紛争って複雑で面倒だな、と思った。
人間の諍いは、大小関わらず面倒だ。
面倒だから、簡単に考えてしまいたくなるのかな。
mixiの某コミュで靖国参拝について延々と不毛な論争が続いておりますが、これは簡単なことをわざわざ面倒な話にしている人がいるだけ。
信仰について語る人間の中で、どれほどの人間が信仰心を持ち合わせているのでしょうね。
「社会問題について語る自分、カッコイー」という信仰のみが蔓延しているような。
この信仰は何とかならんかね。
憂国と言うより勘違いバカが多すぎる。
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by yuzuruha_neko | 2005-10-11 01:52 | 今日のニュース・雑考
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