日本人はデフォルト仏教徒なのか
忘れた頃にやってくる、「やさしい神道(仮題)」です。
日本人の宗教意識について、前々から違和感を覚えていたことを。

いや、ちょーっと不思議なんですよね。
「無宗教」と答える人も多いかと思うのですが、「仏教」と言う人が多いよなぁって。
私はキリスト教もユダヤ教も仏教もイスラム教も嫌い。
派生したものも同類と見なして受け入れられない。
理由を問われれば、「布教や教義の違いを理由に戦争を起こすから」と答えるのですが、多分、人間を超越した神様(仏様)という概念が嫌いなんだろうな。
あと、あれをしろとかこれはするなとか、なんで本(教典)ごときに命令されなきゃいかんの!
無益な殺生はよくないとか親は大事にするとかそれくらい基本で当たり前ですし!
手塚治虫の「ブッダ」を読みましたがどうも感銘は受けられなかった。
まあ、「アドルフに告ぐ」でも感銘は受けませんでしたが。
仏教はのほほんと長閑なイメージを持たれているようですが、六道輪廻とかすごいイヤ。
延々と輪廻し続けていたら、命を終える安らぎがないでしょう。
日本人は外来文化と固有文化の融合に節操がないので(そういう日本人らしさは好き)、神仏混合によって現在の生活の中にも仏教由来の文化風習が根付いており、そういったものをあえてわざわざ拒否・排斥しようとは思いません(その懐の広さも日本人なんだよね)。
しかし「あなたは仏教徒か?」と問われれば、「NO」です。

神道の説明のし難さのひとつとして、「教徒」に相当する言葉がない。
神道はもともと土着信仰であり、自然に恵まれ、かつ自然の厳しさも同時に知る日本人が、自然を畏怖し、稲穂や作物を実らせるお天道様や雨や野山や川や水、生活を支える身の周りの万物に敬意を払う、という性質の生活密着型の信仰でして、神の息子や神の預言者によって広められた宗教とは同列に語れないのです。
祭司とて特別な人間ではありません。
「日本人は『罪』という意識が希薄」と言われる所以は、「教義に反する者を罰する(罰せられる)」という宗教的な背景を持たないせいかもしれません。
その代わりに家族や隣人、生活を共にする共同体を大切にする、という意識が強いのではないかと思うのですが、この意識は近年とみに蔑ろにされているようで悲しい。
日本人が美意識を捨てれば縛りのなくなった宗教団体のように心は荒れすさみ、オウム真理教のような幼稚で惧れを知らぬ犯罪集団になってしまいかねない…かもしれない。
「現世に寄る辺(よるべ)がない」「何かにすがりたい(頼りたい)」と痛切に感じ願う人が宗教団体に入信して熱心な信者となるのかもしれませんが、これも日本人が己のルーツを喪失しつつある現象の一種かもしれません。
誰が見ていなくてもお天道様が見ている。
何より自分の心が自分を見ている。
このような自信を取り戻して頂きたいですね。
どの神様を祀ろうとも、神社の本堂(神殿)に奉納されているものは鏡。
これは興味深いと思いませんか?
拍手(かしわで)を打って拝むのは自分…?

さて、神道には教徒、信者という概念が存在しない。
氏神と氏子は決して教祖と信者の関係ではないのです。
自分は一体どの宗教に帰属しているのか、ますますわからなくなる。
外国では、「信仰がない」は、「愛国心がない」と同じくらい驚かれる言葉でしょう。
ただ、神道の死生観は共鳴できますね。
もう少し、神道のお勉強をしてみます。
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by yuzuruha_neko | 2005-09-19 00:33 | やさしい神道(仮題)
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