スケールが大きすぎると臨場感を味わうまでに時間がかかる
福知山線の事故から1ヶ月が経過したわけですが…。
もう1ヶ月も経ったんですね。
ネットでは、ホットかコールドか、どちらかと言えばまだホットな話題でありますので、時間の経過をそんなに感じなかったわけですが、ご遺族にとってはどういう時間だったのでしょう。
正直私にはわからない。
簡単に「わかる」と言ってはいけないような気がするし。

新聞の1面トップ記事で事故現場の上空写真を目にした時、「ハァ?これが電車?ウソでしょ?こんな壊れ方するわけ?」と、そこに映っている残骸が実物の電車の残骸であり、多大な犠牲者が出たであろう血生臭い現実の大惨事なのだと認識するまでに、若干時間を要しました。
しかしエイプリルフールでもない限り、新聞にそんな大風呂敷のウソ写真やウソ記事を堂々と掲載する意味がないし…。
(新聞社様の意向によるウソ記事がぬけぬけと掲載されている事もままあるが)
こういう時ってなぜか頭脳回線の中の現実認識回路が麻痺・遅延するようです。

不謹慎な言い方をすれば、「にわかには信じがたい」ビックリ映像だったわけですが、今のところ私にとって今世紀最大のビックリ映像は、ニューヨーク同時多発テロ事件の時の、2機の旅客機が次々と高層ビルに突っ込んでビルが崩れ落ちていく映像です。
こっちはテレビニュースで見たのですが、何かの映画かと思いましたよ。
あれがドッキリ映像であればどんなによかった事か…。
その後の鬱々とした日々を思い出すと、今でも気分が暗くなります。
何せすごいショックを受けましたから…。
これから世界はどうなってしまうのかと、毎日明日を儚んで沈んでいました。

湾岸戦争の時、確か「テレビゲームみたい」という感覚が非難されていたように思います。
…が、その時の私は別に普通に「戦争をやっているんだな」と思って見ていました。
空爆していたら当然爆弾が振ってきて、落下地点の付近にいた人は吹っ飛ばされて…。
何せ親・親族に赤カブレの人が多かったものですから、いろいろ洗礼は受けていたのです。
見たくもないような惨い死体写真を子供に見せるのって精神的DVと違うかな?
別に見ておいてよかったとは思っているので恨んではいませんが。
しかし同時多発テロ事件の時はかなーり精神的打撃が大きかったです。
日常生活をつつがなく過ごす事が困難なくらいダメージを食らいました。
背景を理解する力が多少なりともついていた?

そして地下鉄サリン事件の時、私は当然東京在住で電車生活をしていたわけですが、「ねえねえ、地下鉄にサリンがばら撒かれたんだって!大変ね」と言われても、「はァ?サリンって、あの松本の?なんで?誰が?」というくらい鈍い反応でした。
やはり現実のそら恐ろしい犯罪事件だと認識するまでに時間を要した。
報道カメラに収められた、青いシートに倒れこんで激しく嘔吐する人達の姿を見ても、「本当にこれは現実…?」と妙に臨場感のなさを感じていました。

「素っ頓狂」「奇天烈」「奇想天外」…うーん、どれも合っているようで合っていない。
びっくりフィルムを集めた番組はあるけれど、現実の、しかも多くの命が突然にして理不尽に奪われてしまうような出来事・大事件というものは、驚くよりも何よりも、それが事実であると認識するまでにポカーンとした空白の時間があるようです。
信じたくない…アンビリーバブル。
そういう意識が働いてしまうのでしょうか。
アンビリーバブルだからと言って事実を事実と認識できなければそれはただの「保身のための現実逃避」なので、信じたくなくても事実に向き合わなければいけないのですが、やはり事実だと認めるには覚悟がいるような出来事に遭遇した時、自分を傷つけたくないという防衛本能によって「現実感を失くす」という保身のためのワンクッションが置かれるのかもしれません。

人が死ぬ事は当たり前なのですが、それでも人が死ぬ事は怖いのです。
認めたくないのです。
塵芥のように人の命が消える事は、同じ「死を迎える運命」を持つものとして耐え難い苦痛です。
1ヶ月経った今、福知山線事故で亡くなられた方々のご遺族に、謹んでお悔やみ申し上げたい。
そして命奪われずとも怪我で身体に損傷を受けた方々にお見舞い申し上げたい。

見たくないからといって、目に入っているはずなのに見ない振りをできる人が不思議だ。
見て見ぬ振り、いつまで続けられますか?
[PR]
by yuzuruha_neko | 2005-05-25 23:58 | 今日のニュース・雑考
<< 匿名・実名論に関して/削除基準... 靖国問題は内政干渉(追記あり) >>