人間の値段
○人権擁護法案、古賀氏に一任…そこまでして通したい意図は??
○AA会議にて小泉首相、過去の過ちを謝罪…外交上戦略なのかもしれないが不快。
○尼崎でJR脱線事故…誰が誰を責める権利があるのだろう。

ここ数日間で恐ろしいまでに様々な、見過ごせないような大ニュースが世間を騒がしているわけですが、薄ら寒い事は、それらのニュースを知りながら、何ごともなく普通に生活している私。
多忙を極めているというせいもあるけれど、無関心でいようと思えばいくらでもいられる。
私にとっては目の前の仕事のほうが大事だった。
いや、現在進行形で大事です。
目先の事だけとりあえず考える、あれやこれやと先読みしすぎても仕方がない。
目先の事も片付けられないようでは先々の事も片付けられまい。
それが一応私の流儀でありスタンスでもあるのですが、今この世間に取り残されてしまう事は、我が身の目先の問題を放置する事よりもそら恐ろしい。
まったく先行き不安な世の中である。
まあしかし、極東三国の行為に対して明瞭に異論を唱えられる風潮は悪くない。
人権擁護法案、そうまでして成立させなきゃいけない理由を因果関係を軸にして簡潔に述べよ。
原稿用紙400字以内で。

尼崎の事故は、11時過ぎに帰宅して新聞を見るまでまったく知らなかった。
忙しない1日、私は何を考えて過ごしていたのだろう。
あれだけ脳みそを回転させて、活発に新陳代謝していた数時間は一体なんだったんだろう。
いや、それが労働、仕事に従事するという事なんだけれど。
他人事と言ってしまえば他人事。
他人事に関心を持ちすぎる人は、どこかバランスの崩れたいびつな気配を帯びているけれど、他人事に無関心すぎても心が無感動になって荒んでしまうような気がする。
「自分」と「他人」はしばし対立構図として語られるが、自分に関心がない人は他人にも無関心。
そんな傾向があるように思えます。
鏡を見るのが大好きな私、と言うと自分大好き自分マンセーナルキッソス人間みたいですが、鏡を見ないような人は、得てして他人の事もあんまり見ないものだ。
なぜ自分は人間観察が大好きなのか、ちょっとわかる。
ウォッチャーと言うと聞こえが悪いが、人間(他人)を知る事は自分を知る事でもあるのですよ~。

まだ安否の行方がわからない方が多数いらっしゃるという事を踏まえた上で…
今回の事故でJR西日本が損害賠償に放出する金額が如何程か、そこが気になる。
死んだ人、ひとりひとりに値段をつけて行く。
年齢や収入、性別、健康状態…それらを未来換算して賠償金額を決める。
例えば若くて働き盛りなら高額、女性よりも男性のほうが収入が多いから高額、という風に。
即死の方よりも、救出されて苦しんで亡くなった方のほうが賠償金額は多いとも聞いた。
こんな事に関心を持つなんて品性がないようだが、人間は――特に人災で死亡された方は――厳密な計算によって値踏みされる、という事実がそこにはある。
収入面では女性は劣位だが、容貌を損なったとなれば女性のほうが高値がつく。
特に若ければ、「傷物になったら嫁に行けない」という事だろう。
自分の意思で嫁に行かない人も多い世の中で時代錯誤な見識とも思えるが、もし私が不慮の事故などで外見的に重度の損傷を負わされたら…やはり「こんな顔では嫁の貰い手がない、女性として著しく損害を被った、責任を取れ!」と言いそうだ。
私にとっては別にダブルスタンダードではない。

中越地震で土砂に埋まった乗用車の中から男児が救出された時、奇跡の生還劇をマスメディアはこの上なく旨い美談のようにお茶の間に供給していた。
しかし、この男児と一緒に乗用車に乗っていた母親と女児は助からなかった。
今はまだ幼く認識能力も発達していない男児がもう少し成長して、この惨い事実を認識できるような年齢になった時、この男児が抱え込む感情は如何様なものか。
そして、そこに至るまでに、男児が母の不在に疑問を覚えて「ママはどこ?」と聞いた時、父親は如何な思いを押し殺して、幼い男児に事実を悟られないように、笑顔で「今はいないんだよ」と何でもない事のように答えるのか。
奇跡の生還劇は、私にはとてつもない地獄を予感させられる苦い出来事だった。
尼崎の脱線事故で、いまだ安否の確認が取れない人が多数車内に閉じ込められている、と聞いた時、この時の思い出がよみがえった。
頼むから美談を全国に喧伝しないで欲しい。
そして誰が誰を責める権利があるのか。
遺族のやるせない怒りがJR西日本に向けられるのは当然だが…。
少なくとも、記者がJRの職員を罵倒する権利はない。
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by yuzuruha_neko | 2005-04-27 02:00 | 今日のニュース・雑考
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